「○○より○○迄」といった際の「より」が、くずし字で「ろ」のように書かれている場合についても、「ヨリ」と半角カタカナ文字で表記しています。, 〒305-0811 Home; 古地図を見る; 古地図について; このサイトについて; 天保十三年(1842)の、関東一円が描かれた古地図がオンラインでご覧いただけます。 古地図を見る. 関東地方の大名配置図(1630年) ・1622年本多家15.5万石改易 不忠(宇都宮釣天井事件)により改易 関東地方の大名配置図 ・関ヶ原の戦い前 ・関ヶ原の戦い後. この古地図 with MapFanでは、MapFanAPIの最新地図と、タイムワープMAP・東京制作委員会の製作された東京オリンピック前の東京ならびに江戸時代の古地図を同時表示し、東京の移り変わりを比較することを可能としています。 このサイトに掲載の古地図は、天保十三年(1842)に作成された「富士見十三州輿地全図」を、オンライン閲覧用にスキャン・加工したものです。, 「富士見十三州」とは、文字どおり「富士山を望むことが出来る十三の国(州)」の意味で、武蔵、安房、上総、下総、常陸、伊豆、相模、駿河、遠江、甲斐、信濃、上野、下野の十三の国々をいいます。当時はかなり広範な地域から富士山を見ることができたことが分かりますね。, また、この地図の面白いところは当時の村々のかなり細かい地名まで記載されていることで、みなさんがお住まいの現在の地名と照らしてみると、馴染みのある地名が古く江戸時代から使われていたことなど、面白い発見があるのではないかと思います。, 時代劇や時代小説がお好きな方は舞台となった場所を地図で調べてみるのも楽しいのでは。そのほか各地の名所旧跡や温泉なども記載されていますので、ぜひ拡大してじっくり観察してみてください。, 掲載の古地図は、サイト管理人が個人的に所蔵・管理しているもので、その著作権は当サイト管理者に帰属します。, サイトの構成、レイアウト、デザインについても同様です。 土浦藩:譜代 9.5万石 Wikipedia 居城:茨城県土浦市 土浦城 別名:亀城(きじょう) Wikipedia 城郭構造:輪郭式平城 開戦時藩主:土屋寅直(ともなお 当時47歳) 藩主家の変遷:慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後、譜代の松平信一が3万5000石で土浦に入り、土浦藩が立藩した。 国立国会図書館所蔵の近世以前の絵図・古地図; 国絵図を探す; 伊能図; 城絵図・城郭図を探す 国宝犬山城天守のある愛知県犬山市に居を構えたのをきっかけに、2016年より「たかまる。」として活動を始め、現在に至る。 大久保忠興 彦根藩: 彦根城: 1606年 ~1871年 (支藩)彦根新田藩: 本藩: おうみこむろはん. また、この地図の面白いところは当時の村々のかなり細かい地名まで記載されていることで、みなさんがお住まいの現在の地名と照らしてみると、馴染みのある地名が古く江戸時代から使われていたことなど、面白い発見があるのではないかと思います。 Instagram  滋賀県における江戸時代の藩や藩主の一覧を掲載しています。 藩. !」(『藩と城下町の事典』東京堂出版)と帯に書いてあり、これを書き出せば藩の一覧をつくれるんじゃないかと思うのですが、ことはそう単純ではありませんでした。さすがに七尾藩はどちらの本にも掲載されていませんが、阿保藩(あぼはん)が両書ともに掲載されています。, 阿保藩は関東に同行した菅沼定盈が上野阿保に1万石の所領を与えられたことにはじまるのですが、定盈は慶長年間初期に息子の定仍に家督を譲って隠居、その定仍は「関ヶ原の戦い」の功により伊勢長島藩に加増移封となり、阿保藩は1601年(慶長6年)6月に廃藩となっています。つまり『藩と城下町の事典』の帯にある「546藩」が答えではなく、正解な数はまだわかっていません(さらに付け加えるとこの本に掲載された藩を書き出したものの546に足りてなくて余計に混乱しました)。, そこで今回は『藩史事典』と『藩と城下町の事典』、それとWikiprdiaの一覧を比較しながら、まず確実に「江戸時代に存在した」といえる約500藩を登録し、あとから地道に漏れた藩を補足していくことにしました。大名家の藩主就任の歴史を追っていけば最終的には正しい結果が得られるのではないかと思っています。, なぜ正確な一覧表がどこにも存在しないのかというと、そもそも藩の定義がややこしいという問題があります。基本的な定義は「1万石以上の石高を有する大名の領地」のことを「藩」と呼ぶのですが、前回書いたように江戸時代には藩という言葉が使われていなかったこともあり、当時の資料に「藩の一覧」は存在しません。, ただし『大名武鑑』という大名家の一覧が収録された江戸時代の本を精査することで、その時点の大名家を知ることはできます。「○○藩」とは書かれていませんが、大名ごとに石高と居城は記載されているので一致はさせられそうです。, 余談ですけど、この『大名武鑑』は江戸時代のベストセラーだったそうです。なぜなら参勤交代制がはじまり江戸に諸大名が集まるようになってしまったので、どの大名家かを識別するために彼らと取引を行う商人や大名行列を見物する町人が買い求めたんだとか。現代のタレント名鑑とか野球選手名鑑みたいな感じで、ちょっとおもしろいですね。, 江戸時代に存在した藩、といってもその江戸時代の始まりと終わりが曖昧なのも問題です。一般的には徳川家康が征夷大将軍に任命されて江戸に幕府を樹立した1603年(慶長8年)から、明治に改元された1868年(慶応4年/明治元年)までの265年間を指します。でも「関ヶ原の戦い」が起きた1600年(慶長5年)や豊臣氏が滅亡する1615年(元和元年)を始まりとする説もあるそうです。終わりの時期についても大政奉還を明治天皇に上奏した1867年(慶応3年)や廃藩置県が断行された1871年(明治4年)などいくつかのそれっぽいタイミングがあります。, 先の阿保藩(1601年に廃藩)の場合、江戸幕府樹立をスタートにすると対象外ですが、「関ヶ原の戦い」までスタートをずらせば対象に含まれます。また明治時代に入ってから成立した藩もいくつかあって、たとえば白石藩などは明治元年に立藩しています。, さらに犬山藩や新宮藩など御三家の附家老は大きな領地を与えられていたものの大名の扱いを受けてなかったのですが、大政奉還後の1868年(慶応4年)にようやく認められて藩となったので、藩として数えないケースもあるそうです。なおこうした大政奉還以降に成立した藩のことを「維新立藩(維新後立藩)」と呼ぶそうです。琉球藩も立藩したのは1872年(明治5年)のことでした。, 学者間で結論が出てないことをぼくが考えても時間の無駄なので、今回は江戸幕府樹立(=1603年)から、廃藩置県(=1871年)までを対象とすることにしました。データとしては立藩年(成立年)と廃藩年をそれぞれ保持しているので、あとから期間を変更しても最小限の修正で対応できると思います。, 藩の成立をいつにするかも厄介な問題です。前田家や島津家のように豊臣政権下での大名を「豊臣大名」と呼びますが、彼らは「関ヶ原の戦い」前後で国替えがありませんでした。この場合は江戸幕府から存続を許された時点(所領安堵の朱印状=領知朱印状が発給)で江戸時代における藩となるわけですが、それはだいたい「関ヶ原の戦い」翌年の1601年(慶長6年)頃のようです。, このケースよりもさらに厄介なのが、いわゆる譜代大名と呼ばれる家康の家臣団の扱いです。彼らは家康自身が豊臣大名として関東入封した1590年(天正18年)の時点で、関東地方の各地に所領を与えられており、これも「○○藩」と便宜上呼ばれています。井伊直政が高崎藩、本多忠勝が大多喜藩といった具合ですね。, 井伊家や本多家は江戸時代に入って彦根藩(正確には佐和山藩)や桑名藩に加増移封されますが、そのまま引きつづき同じ領地を藩主として支配した場合もあります。この場合、藩の成立は1590年(天正18年)なのか、あるいは江戸に入ってからちゃんと朱印状が発給されて記録として残っているのかがわかりません。今後ちゃんと調べていけばわかるのかもしれませんが、とりあえずこのケースでは1590年(天正18年)を立藩年として入れています。, 加賀藩なら金沢城といった感じで、藩には藩庁が存在します。小藩であっても陣屋と呼ばれる城の代わりにとなる屋敷がありました。大名になるには1万石以上が必要ですが、さらに城を築くためには3万石がボーダーラインになっていたそうです。では藩には必ず城か陣屋があったのかというと、そうともかぎりません。藩内支藩といって子どもや兄弟に数字上のみ分与しているケースがあるからです。こうした藩内支藩は蔵米支給といって俸禄をもらうだけで領地を有しているわけではないので、当然のように藩庁も存在しません。, たとえば千姫が再婚した本多忠刻には幕府から化粧料として10万石が与えられますが、まだ家督を相続していない部屋住みの身分でもあり、姫路城で暮らしていました。よって姫路新田藩には藩庁がありません。もちろん大半の藩には城なり陣屋なりといった藩庁が存在しているので、データベース化する際にも入力欄は用意しているのですが、必須項目ではないという点は注意が必要です。, とまあこのように「藩の一覧をつくるぞ」と気楽にはじめてみたものの、調べていくといろいろとグレーゾーンも多く、ネットにも書籍にもぼくが求めているリストがなかったことにもうなづけます。調べ物をしていると「ネットに存在しない情報」というのがちょくちょくありますが、まさか江戸時代に存在した藩の数がわからないというのは意外でした。ただ、どこにもないならつくればいいわけで、やりがいも感じています。, 書籍をつくるのとちがい、日々更新していけることが攻城団のようなインターネットサイトの利点ですので、これから少しずつ教わりながら埋めていきたいと思います。仮に完成しなくても、そこそこいいところまで網羅できれば、誰かが引き継いでくれるでしょう。, おもしろくて有意義なプロジェクトだと思いますし、手伝っていただける方も随時募集しております。データベースを入力していきたい、大名家や藩の紹介文を書きたいという方はぜひご連絡ください!, 攻城団では不定期で「日本史の知識をアップデートするための勉強会」という勉強会をオンラインで開催しています(Zoomを使用したビデオミーティング)。

関東地方の大名配置図 ; 中部地方の大名配置図 ... 江戸時代の大名領地Map. 江戸時代の大名領地を地図上に表示させています。 ... 関東地方の大名配置図 ... 大大名である仙台藩(伊達家)はどのような領地を保有しているか? あなたのお城めぐりが楽しくなっていただけたら幸いです。, 独自のメディアとして、次のものを運営しています。 江戸時代にあった藩の一覧をつくろうと決めたものの、ネットを探してもそれらしい一覧はありませんでした。Wikipediaには「藩の一覧」というページがあって、「江戸時代から明治時代の初期に日本の各地に存在した藩を地域ごとに一覧する。」と書いてあるのですが、じっさいには「七尾藩」のように豊臣政権期にのみ存在し、江戸時代には存在しなかった藩も含まれていて、そのまま信用することはできません。, ネットにかぎらず、書籍やムックでも「江戸300藩」と題して、一覧が掲載されているのはあるのですが、これらが取り上げているのは「幕末に存在した藩(約270藩)」が中心のようで、江戸時代の途中で廃藩になってしまった藩は収録されていません。ちなみにうちには藩についての資料がこのくらいあります。, このうち手前に置いた分厚くて高い本には「全国五百四十余藩の藩史を集大成!」(『藩史事典』秋田書店)や「江戸時代に立藩された546藩を完全網羅!

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★ 犬山城天守・犬山城跡の散策は通算548回以上! この連載では、日本城郭検定準一級の知識を活かし、お城の基礎をあなたと一緒に勉強したいと思います。 1999年(平成11年)からウェブプランニング、ゲーム企画に関わる。2000年(平成12年)より、IT・歴史系ライターの仕事を始め、その後はフリーでのウェブプランニングをおこなう。専門学校・カルチャースクールにおいて小説家・イラストレーター志望者に向けた講義もおこなっている。 幼少より岐阜城を眺めながらすくすく育つ。 大久保忠由 ライブラリ