高砂-(430d)→ 加古川10:35着/13:11発 -(784m)→土山. 鉄道旅行者にはロングシートはかなり嫌われているようですが、なぜ車両転換されたりする際にロングシート化されるのでしょうか?なにかメリット(導入・維持コスト?)があるのでしょうか?#3・4・5です。>首都圏等においては、乗降時間 ここまでで、ロングシートのキハ25に2時間半。車窓の変化が思ったより大きいのと、車内が空いていたこともあって、それほど疲れを感じませんでした。 ここからは、太平洋の景色を眺めながらの汽車旅が続きます(つづく)。 紀伊半島一周 青春18きっぷの旅.

今回はキハ35という気動車を取り上げたいと思います。キハ35はオリジナリティーあふれる気動車ですが、なぜか地味な存在に成り下がっています。たまには、キハ35にスポットライトを当ててもいいのではないでしょうか。, キハ35は現代でも珍しい通勤型のディーゼルカーです。デッキなしの3扉にオールロングシート。車体の形は103系を思い起こさせる四角形をしています。そして、申し訳なさそうに方向幕が付いているのがポイント。この方向幕、写真を見ると「普通」もしくは白幕しか見たことがないので、あまり重要視されてこなかったのでしょう。あと、キハ35で忘れてはならないのがドア部の箇所に「外吊り式」を採用したこと。これは、ドア部に設けたステップと密接な関係があります。当時、気動車が走る駅の多くが客車用の高さが低いプラットホームでした。気動車は客車用のプラットホームに合わせるためにステップが必須だったのです。しかし、デッキなしの扉にステップを設けると強度が減ってしまいます。そこで、「外吊り式」を採用することで強度を保とうとしたのです。「外吊り式」の採用により強度は保てましたが、すきま風がドア部から入るようになり、乗客からは不評だったそうです。, デビューは昭和36年、当時非電化であった関西本線(湊町~奈良)に投入されました。当時、関西本線の乗客数は増加していましたが、設備が全く追いついていませんでした。車両は蒸気機関車に引っ張られる旧態依然とした客車。一方、関西本線とライバル関係の近鉄奈良線には快適な電車がたくさん走っていたのです。そうかと言って、関西本線を電化するのはもったいない。そこで、通勤型気動車、キハ35が製造されたのです。, キハ35はグループ総数400両以上も製造され、全国各地で活躍しました。しかし、電化が進むと、どんどんキハ35は廃車になっていったのです。「このまま、急激に減るのか」と思いきや、2000年代までしぶとく残りました。関東では千葉県を走る久留里線、関西では和田岬線で最後の活躍を続けたのです。また、JR以外ですと関東鉄道に譲渡されたキハ35が2011年まで活躍しました。「老朽化はしているが、このピースを埋めるだけの目的で新車を作るのはもったいない」そのような考えでキハ35はしぶとく生き残ったのでしょう。もしかすると、日本ご自慢の「もったいない」はキハ35のためにあるような単語なのかもしれません。. 本来はひと組のクロスシートか、 ロングシートがあるはずの場所。 キハ17の前面窓内側。陸羽西線にて。 キハ17の車内。これは背ずりの低い前期型で、後期の206~は背ずりが高くなった代わりに肘掛がありませんでした。

本来はひと組のクロスシートか、 ロングシートがあるはずの場所。 キハ17の前面窓内側。陸羽西線にて。 キハ17の車内。これは背ずりの低い前期型で、後期の206~は背ずりが高くなった代わりに肘掛がありませんでした。

八高線では主力のキハ35系等に混ざって見ることができたが、活躍期間は数年と短かった。 '88.4 八高線 東飯能ー高麗川 p:長岡行夫 . Copyright © CyberAgent, Inc. All Rights Reserved. 国鉄キハ20系気動車(こくてつキハ20けいきどうしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1957年 (昭和32年)に開発した一般形 気動車 。 キハ20形と同一の設計思想で製造された形式群の総称である。 1966年(昭和41年)までに系列合計で1,126両が製造され、日本各地で広く使用された。 キロハ25 7として1960(昭和35)年に新潟鐵工所で製造、福知山に配置された。1967(昭和42)年に格下げでキハ26 307に … キニ26 2. Bº˜a‚S‚Vi‚P‚X‚V‚Qj”N‚WŒŽ, @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@”Ñ“cü‚̃Nƒn‚S‚V-‚P‚O‚W‚ÌŽÔ“à@º˜a‚S‚Xi‚P‚X‚V‚Sj”N‚WŒŽ, @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@–kŠC“¹Œü‚¯ƒLƒn‚T‚WŒn@ƒLƒn‚Q‚V‚̃fƒtƒƒXƒ^B, @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ƒLƒn‚P‚V‚Ì‘O–Ê‘‹“à‘¤B—¤‰H¼ü‚ɂāB, @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ƒLƒn‚Q‚O‚ÌŽÔ“àBŽÂŽRü‚ɂāAº˜a‚S‚Ri1968j”N‚XŒŽ.

車両はキハ75。ロングシート車が入り混じるキハ25と違い、座席は 転換クロスシート になっている。 列車は美濃大田を出るとしばらく市街地を走るが、隣駅を過ぎたところで再び 川沿い へ出た。 やっぱり、高山本線クオリティは伊達じゃなかった! 新幹線(JR東海と新幹線) / 東海道新幹線 | 中央新幹線(ルート問題)車両(新幹線) | TOICA | エクスプレス予約JR東海バス | 偽モノ | CM, 車掌が東京到着前、親切にワイドビューチャイムを鳴らして、客に「長らく、373系をご利用していただき有難うございます」とアナウンスをしてくれた, https://wiki.chakuriki.net/index.php?title=JR東海の車両&oldid=1640271, ただしブルーリボン賞やローレル賞には遠い。E231系がローレル賞取れるならもっと取れても良いような。, 単に、両隣の車両がアレなだけかもしれないが…(東は言わずもがな、西も新快速の揺れっぷりが凄い), いや、最近の大手私鉄(特に関東の)も手抜きの新型車両が増えているし。特に相鉄・小田急はJR東の新車ほぼそのまんまだぜ。, JR東海が新快速の車両を新しく作ったと思ったら、10年くらいで313系が登場、置き換えられた。JR西日本の, 駅間では無表示になる仕様のようだがちゃんと使ってる。ちなみに、313系と併結すると何故か313系側のLEDの表示が左詰めになる。, 平成10年頃まではこのサイズが標準だった。平成12年に交通バリアフリー法が施行されてから、障害者対応の大型トイレが設置されるようになった。, 登場から30年近く経つから、211系0番台もろとも置き換え対象になる日もそう遠くは無い?, 東海バスの沼津~松崎間の特急バスね。左右で配色が違ってて、片面が371系、もう片面が小田急20000系のカラーリングだった。, 昼間に熱田駅留置エリアで昼寝をしているのを見ることができる。東海の虎の子とはいえ何だか勿体無い気が。, 2階建て車両が廃車になる可能性あるが(じゃないと通れない路線がある)どうなっちまうんだろうか。, 2013年5月の東海道線豊橋 - 大垣に続いて6月には、神領を拠点に中央西線奈良井まで試運転に来た。第2の人生は東海道線名古屋地区か、それとも中央西線か?, なんとこちらも富士急行に譲渡されることになった。第二の人生も相方と一緒になるとは誰が予想できただろうか。, ただ、RSEと同様に編成短縮フジサン特急色への変更は避けられないだろうから、二階建て車は廃車になってしまうだろう。リニア・鉄道館にでも保存できないものか…。, 普通列車(静岡19時30分発東京行338M・東京5時20分発静岡行321M)として毎日やってくる。, 静岡→(普通)→東京→(ながら)→大垣→(ホームライナー)→豊橋→(伊那路)→飯田→(伊那路)→豊橋→(ホームライナー)→大垣→(ながら)→東京→(普通)→静岡という運用だった。, ムーンライトながらに充当された時代、深夜減光しなかった。無名の大垣夜行(165系)時代は減光したのに。, セントラルライナー登場後、313系8000番台が需要に対して不足していたため、増備されるまで373系や383系が一部列車に入っていた。, こちらも両開き2ドアを持つが、キハ45系のようなセミクロスシートであった。ロマンスカーより劣ることから準特急の種別が使われた。, でも「振り子車両でバランスを取りたいから」という理由で、2+2配列。パノラマ車なのに、2列目ですでに展望が絶望的。, この車両のグリーン車は東日本の特急グリーンと同じ2列-2列なのに、東日本の2列-2列のグリーン車とは違ってなぜかあまり叩かれない。まさにそれこそ鉄オタのダブスタぶりを物語っているといえる。, 付属編成はセントラルライナーにも使われてたらしい(313系8000番台の車両不足のため、増備されるまで373系や383系を使ってた)。, マシって言い方するなよ。JR東海の車両はみんないいよ。マシっていうのはE233系(JR東日本のわりにっていう意味で)のことを指すんだよ。, 束のE351と酉の283はトラブル続きで増備されなかったが、この車輌は大成功だったと思う。, 2000年には2両編成の特急「サンタクロースエクスプレス」号が名古屋~藪原間で走っていた。4両編成は主に臨時特急で使われていることがある。, というより3セクの車両っぽい…。ワンマン対応ゆえ運転席と反対側は一番前まで行けたりもするし。, うっかりしているとひとりでに走り出す(本当はどの車両でもそうなんだけどこの車両は…), 別社というのは「東海交通事業」。城北線の線路使用料の代わりに貸し出されているが仕様はほぼ, JR各社が製造したNDCモデルの中では、最も内装・性能に力が入っている。JR東海の「他社とは違う」という意気込みといえよう。, 300番台も2両が城北線に島流しされ、既存の200番台をこれまたひたちなかに飛ばした。なんという同形式置き換え。, 「伊勢神宮式年遷宮への輸送を意識した車両」と言いながら武豊線に投入されるというのもよくわからんが…, 武豊線電化に向けた布石(313系似の車両に置き換えることで「車両の見た目で方向区別してた客」を矯正)だったのかもね。あと内装サービスの先行披露にもなるし。, 案の定、キハ75並の出力とはいきませんでした。キハ75が武豊線運用としてはオーバースペックだったのだが。, エンジンはローカル線での運用を想定してか1機のみだが、520PSとかなりハイパワーな上、変速1段+直結4段の変速機を持つ。普段はそんなにパワーはいらないので450PSで運用している。, しかしキハ75が最高時速120km/hなのに、こいつは110km/h。遠からず地方線区に回すのでスペック控え目に製造したのだろうか?, 今後キハ25はさらに増備され、東海管内のキハ40を置き換えるらしい。いよいよ国鉄型(JR発足後に造られた211系を除く)全廃か?, 外観が313系そっくりなのになぜかLED表示のドットパターンが313系のそれとはちょっと違う。, 2次車から車体のビードが無くなったが、何故か日車お得意のブロック車体にはならなかった。, でも台湾には拡幅車体でブロック工法を採用した車両がある。こいつもその気になれば採用できたと思うけどなぁ…, 2次車から正面行先表示器がまさかの一体型1台に。見にくい上に顔がうすっぺらくなった印象を受ける。, 1次車にある種別表示器と行先表示器を眉毛にたとえるなら…片っ方の眉毛が無くなったというところ。, 高山本線では岐阜-猪谷間189.2kmの長距離運用にこいつが使用されており、キハ35の名阪運用(名古屋-湊町間174.9㎞)を彷彿させる。, 18きっぷで富山市内に行くのにこいつを利用したが、ロングシートの通勤型気動車に6時間も揺られていると、いい加減にうんざりする。「くつろぎたければ『ひだ』を利用してください」という運行会社の商魂が伺える。, 多気〜新宮は静岡よりしんどい。早くみえに新車を入れてキハ75系を転入してほしい(ワンマン化改造込みで)。, 残念だが、ロングシートは新宮では終わらない。新宮から紀伊田辺まで105系での運行になる。, 正直、高山線や紀勢線にオールロングを入れる意味ってあるのか?って気はする。本数が少ない区間は特に。, ローカル線でも朝の通学時間帯はたいへん混雑するので、鉄道会社にとって詰め込みのできる通勤型車輌は好まれる傾向がある。もっとも18きっぷ利用者からしたら迷惑千万だが。, 1両あたりの乗車定員がおおいので、3輌編成の近郊型を2両編成の通勤型に置き換えることができる。さらに車内の死角が少ないので、ワンマン運転にも向いている。東北地方で701系が投入されたのも同じ理由です。, 某アニメで高山線が出てきた時はキハ40だが実際に行ってみるとキハ25という罠(どうせ劇中の通りに行けばひだで行くから無問題)。, ビード廃止、行先表示器削減、車内案内装置の千鳥配置など、かなりコストカットを意識した造りになっている。, ボックスシートのままのキハ58系よりも。新幹線シートに改造された車両とだと確かに見劣りするが。, 乗車券だけで乗れる、天下の東海道線を120km/hで爆走する唯一の気動車。あと2年で撤退となるから、乗るなら今のうちに。, 混雑が酷くなったためと、キハ25の武豊線運用で車両に余裕ができたため、原則4両で運転されるようになった。, 佐久間レールパーク閉園の際、臨時列車として飯田線に入線した。正直山岳路線を走ってると違和感が感じられる。, 快速みえ専用編成から改造された編成は、3207-3307(旧207-307)編成。今後も0番台にまで波及していくだろう。, 最近出たキハ25や313とを比べると、キハ75は名鉄といった感じがする。何故だ・・・。, 快速みえは指定席車と自由席車を同じ車両を使用しているというのは芸がなさすぎ。折角指定料金を取るのだし観光客向けの需要もあるから、指定席車にはキハ85系に準じたリクライニングシート・デッキ仕切り・洗面所を備えた車両を投入した方がいい。東日本の普通グリーン車や南海のサザンみたいに。, ただ2両と4両では指定席の区分が異なるし、3号車は必ず自由席になるし、間合いの普通やワンマン対応車の本業も考えると難しそう…, 臨時急行エメラルドに入れることも考えてたようで、同列車および東舞鶴の幕が入っている。, 一部の「ひだ」で、同じグリーン車でありながら3列車と4列車を混結するのは如何なものかと思う。数は少ないだろうが、苦情がJR東海に来ているはずだ。, キロ85型は今は無き371系のグリーン車と並んでJR東海で数少ない3列シート車。JR東海の3列シートのグリーン車はキロ85型を最後に製造されていない。, 鹿との衝突に備えた”衝撃緩和装置”のクオリティにはビックリ…。パッと見、(キハ85系+ラッセル車)÷2=みたいな感じ。, 一部車両は、電子オルゴールとは思えないワイドビューチャイムが搭載されている車もいる。, 「南紀」用の車両は普段は紀伊勝浦までの運行だが、イベント列車で白浜まで入線したことがある。, トイレもインバウンド対策で大半を洋式化に。次期型より先にウォシュレット付くのか??, 急行かすがおよび大阪しなの廃止後、今やJR西エリア(境界駅除く)へ乗り入れる唯一のJR東海オリジナル車両となった。. 朝6時半、目覚ましで起床した私は朝食を食した後、ホテルをチェックアウトした。今日乗るのは高山本線だ。高山本線の道のりは長く、鈍行だと5時間以上かかる。, 高山本線は中部の山間部を貫き、富山と岐阜を結ぶ全長225.8kmの山岳路線だ。全線非電化であり、ほぼ全区間で一級河川に沿って走る風光明媚なローカル線である。昔は名鉄直通の特急や急行も走ってたらしいが、現在走っている列車は鈍行と特急「ひだ」のみだ。, 高山本線を全線走りきる鈍行は存在せず、富山~猪谷間は西日本、猪谷~岐阜間は東海の管轄となっている。時刻表を見るとこの路線は日中の鈍行の乗り継ぎが限りなく不便で、特に山間部の猪谷~美濃太田間は、午前中の列車を逃すと4~5時間近く先へ行けなくなってしまうという(汗)、乗り鉄泣かせの路線であった。, 私が乗り継ぐパターンだと特に不便はなかったが、そのまま通しで行ってしまうのは面白くないので、今回は高山から濃飛バスに乗って白川郷へ行ってみることにした。白川郷は言わずと知れた世界遺産である。朝8時に富山を出発し、夕方18時に岐阜へ到着する行程。岐阜からは何時も通り東海道で帰路を辿る予定だ。, 高山本線の旅の最初を飾るのは8時14分発の猪谷行き鈍行だ。二両編成の気動車である。車両はキハ120。国鉄車の代替として西日本が導入した小型気動車だ。まだ通勤時間帯なので車内は満杯状態。まずはこの列車に乗って、西日本区間と東海区間の境目となる猪谷を目指そう。, 8時14分、猪谷行きは定刻通り富山を出る。出発してしばらくは市街地の中を進む。さすが北アルプスの近くだけあって水源は豊かで、小さな川を何度も渡っていく。婦中鵜坂で通勤客がドッと降りたので、取り敢えずロングシートを確保した。, 水源豊かな田園を走り、越中八尾を過ぎると次第に山の中へ入っていく。東八尾を過ぎてトンネルを抜けたところで、高山本線の車窓は化けた。これから終点まで4時間近く運命をともにする一級河川群(神通川→宮川→飛騨川→木曽川)との合流である。, トンネルを抜けると現れる神通川は、ドラマティックな瞬間といえよう。笹津を過ぎると山がどんどん深くなってきて、山岳路線の様相を呈してきた。, 起点から一時間も経ってないのに、この山々の深きこと深きこと。山の中へ入っていくうち高度はグングン上がり、左手には谷間の風景が広がる。「化けるぞ………!」この路線想像以上に化けるぞと、ガラガラになった車内で一人呟いた。, 9時05分、終点の猪谷へ到着。西日本と東海の管轄の境となる駅だ。猪谷は神岡鉄道が乗り入れていた名残か、駅構内は広い。しかし、今はJRの小型気動車がポツンと停まっているのみだ。, 猪谷駅2番線に停まっていた高山行き鈍行は、先程と同じく二両編成の気動車であった。この区間は数ヶ月前まで国鉄気動車が走っていたが、残念ながら撤退済。代わりに投入されたのは東海の新型車キハ25だ。, 現状、高山本線に投入されたキハ25は、ロングシート車とクロスシート車が混在してるらしいが、今から乗る車両は鬼畜のオールロングシート。風光明媚な高山本線でこの仕様は最悪だ。これで高山から先もずっとオールロングだったらマジで鬼畜だなぁ。やだなぁー。, クロスシート車が来るかロングシート車が来るかは現時点で全くわからない状態であり、今回はハズレくじをひいてしまったわけだ。残念!, 乗り継ぎ客が乗り込んだところで、高山行きは定刻通り発車する。既に深い山の中で人家も皆無。猪谷から先で並行するのは宮川だ。列車は宮川と何度も交差しながら走っていく。, 山が深くトンネルが多いが、絶景ポイントが多く点在していて飽きない。カーブが多いのにも関わらず、列車はそれなりにスピードを出して谷間を駆け抜ける。, 岐阜へ入りしばらく閑散地帯を進んでいくと、宮川はダム湖に変わった。坂上のダム湖を過ぎると一旦山間部を出て、人家が多くなってきたところで飛騨古川へ。ここで数分停車した後、山間の平地をひた走って高山盆地へ入る。, 人家ひしめく市街地へ入ると、列車は終点の高山へ到着した。高山は飛騨の観光拠点だ。一旦鉄旅を休止し、バスに乗って白川郷へ向かおう。, 濃飛バスのターミナルは駅を出てすぐのところにあった。次に出る白川郷行きの特急バスは10時50分発。往復切符を買って乗り場で待っていると、何時の間にか行列が出来始めた。さすが世界遺産!人気度はなかなかのものだ。, バスが到着すると程なく満杯となり、補助席まで使う事態となった。白川郷行きのバスは高山駅を出ると市街を脱し、高山清見道路に入る。トンネルを何度も潜り抜け、高度が上がってくると深い山間部を抜けていく。, 有料道路からは高速に入り、あっという間に白川郷へ到着。観光案内所でマップを確認した後、川を渡って合掌造りの民家群へ向かった。, 岐阜の奥地にある白川郷は、本物の合掌造りの集落が残る秘境地帯である。白川郷へ来るのは初めてだ。何時から人が住んでいたのかは定かではないらしいが、文献に残ってるものとしては奈良時代が最も古いようだ。, 白川郷の代名詞となっているのが、分厚い茅葺きの屋根が特徴の合掌造りである。合掌造りという建築様式が誕生したのは、江戸時代中頃であるとの推測があるらしい。, 民家の中を進んでいくと、里を見下ろせる展望台に行き着いた。こうして見下ろしてみると、白川郷は思った以上に小規模だ。外国人が多く、寧ろ日本人よりも多いぐらいで、世界遺産の人気振りが伺える。, ボヤボヤしてるうちにバス停に行列ができていたので、やむなく最後尾に並ぶとバスが到着。一台分ギリギリの乗客が詰め込まれ、私は補助席の世話になった。両隣にアジア人とヨーロッパ人が座っている。なんだこの珍体験。「すいませーん」とか言いながら補助席に座ると、彼らはにこやかに笑った。, 14時48分発の美濃太田行き鈍行は4両編成で、前側二両がクロスシート、後側二両がロングシートになっている。隣から出る14時39分発の特急「ひだ」を尻目に悠々と佇む姿が、のんびりとした鈍行妙味を掻き立てる。終点まで約2時間20分走り抜くこの列車に、さすがに鬼畜のオールロングはないんじゃねえかと思っていたら、案の定願いが叶ってクロスシートにありつくことができた。良かった、良かった!, 「アレ!?こっちにあるじゃん!前のやつの!」「こっちの方がいいよねぇー、何で変わっちゃったんだろぉー……」, ほらっ東海。地元の女子高生も言ってるぞ、前の方が良かったと。以前のボックス席の方が良かったと。数ヶ月前まで、14時48分発の美濃太田行きは全てボックスシートのキハ40だったに違いない。, ロングだと地獄だが、クロスに無事当たれば至高のローカル旅が味わえる。列車が出る前に駅で買った「飛騨牛しぐれ寿司」を食す。飛騨牛を食すのは初めてだが、とろけるような味わいがありあっという間に完食してしまった。, 列車は高山を出ると市街を出て、間もなく深い山の中へ。飛騨一ノ宮で特急待ちのため数分停車。飛騨一ノ宮を出ると左にグルッとカーブして坂を上り、長大トンネルへ突入する。一級河川と何度も交差するので、絶景ポイントは多い。, 飛騨小坂を過ぎると、これまで並行してきた飛騨川が大河のような趣に。飛騨萩原で学生がドッと乗ってきた。観光拠点の下呂(げろ)で、さらに乗客が入れ替わる。, 飛水峡だ。長年の濁流によって形成された岩盤地帯で、白川口~上麻生間で拝むことができる。岩盤のすぐそばを走るので車窓は素晴らしい。しかし写真に収めるのは難しいようだ。飛水峡の絶景区間を過ぎると住宅が多くなってきて、素朴な平野へ出た。, 飛騨の山間部を離れ、すっかり平坦になった美濃加茂の市街をひた走る。太多線が合流すると、列車は終点の美濃太田へ到着した。, 美濃太田駅で待つこと10分強、17時27分発の岐阜行き鈍行がやってきた。山間部が多い高山本線の中でも、美濃太田~岐阜間は市街地で列車の本数も多い。車両はキハ75。ロングシート車が入り混じるキハ25と違い、座席は転換クロスシートになっている。, 列車は美濃大田を出るとしばらく市街地を走るが、隣駅を過ぎたところで再び川沿いへ出た。やっぱり、高山本線クオリティは伊達じゃなかった!, ずーっとこんな車窓が展開する長大路線って、なかなかないと思うんだが。木曽川の横をすり抜けると市街地に戻り、名鉄と並行して進む。, 18時過ぎ、列車は終点岐阜へ到着した。これで高山本線は完乗だ。この路線、想像以上に車窓が良かった!特に高山から美濃太田までの区間は圧巻だった。, しかし残念なのが、旅情溢れる国鉄気動車の撤退と新型車の冷遇振りだろうか。全線に渡って風光明媚な車窓が展開するのに、東海がロングシートの新型車をためらいなく導入したのは、もちろん車両の運用上の問題であって、それ以上もそれ以下でもない理由なのは確かだ。, 現時点で高山本線については、東海道本線の静岡地区と同じような見方を東海は持ってると考えていいだろう。今後改善を望みたいが期待は禁物かな。所詮は東海だから。(←完全にディスってる), さて、岐阜からは帰路だ。東海道の新快速で名古屋へ移動し、新幹線で東京へ向かう。今日は雲が多かったものの天気は良く、至って平和だったのが良かった。, 岐阜から20分強で、列車は名古屋へ着いた。ここから再び新快速に乗り、豊橋から新幹線に乗ろうとしてたのだが、体力がすっからかんになってしまったので、名古屋から潔く新幹線に乗って帰ろう!, お土産を買った後、私は東海道新幹線の券売機へ向かった。この時間帯の「のぞみ」の需要は尋常じゃなく、指定席券があっという間に売り切れていく。取り敢えず、数本後の列車の窓側席を確保。疲れきってるので窓側でゆっくり休みたかったのだ, 繁忙期の追加便「のぞみ402号」が、通勤客をボチボチ乗せて大都会東京へ発った。定刻から寸分狂わず東京へ到着。そして帰りの常磐線で待ってるのは見慣れた日常だ。すっかり馴染んだ上野東京ラインに乗って、22時過ぎに帰宅した。, ・旅の総運賃:30600円(18切符2日分+アルペンルート運賃+私鉄運賃+バス運賃+新幹線運賃)・乗った乗物の数:鈍行6本+快速2本+新幹線1本+市電2本+バス6本+ケーブルカー2本+ロープウェイ1本・総距離/所要時間:約560km/1泊2日(岐阜からの帰路の分を除く), 思った以上に費用がかかったが、今回の北アルプス旅は計画通り完遂した。北アの大自然が素晴らしかったし、多種多様な乗物に乗れたから楽しかったぞ!, 高山本線も、新型のディーゼルカーはロング率高しなんで、残念感強いですね。もう、東海にクロス等の良い車両を、求めるのは難しいかと……。, 東海道(の静岡地区)は新幹線、高山・中央・紀勢の各本線(特に本数が減る部分)特急で行ってしまえ、なんでしょうかねぇ( ̄▽ ̄;), 遂に高山本線も国鉄車が撤退して、JRの新型車だけになってしまいましたね。新型車キハ25はまるで通勤電車のような風貌で、味気全くなしです。ただ、クロスシートに当たれば快適な鉄旅を楽しめるかと。当たれば、ですが(汗)。, 「新幹線に乗れ!」という選択肢しか用意されてないなら、私は今後飛行機(LCC)を多用しますね。早いし安いし。東海が"そういう"目方で在来線を切り詰めで運行させてるんだから、仕方ありませんね。東日本在住なので実感できなかったのですが、大多数の"鉄"が東海を嫌う理由が何となくわかってきました(苦笑)。, 高山本線もローカル色がつよいですね、この夏は東海道線をのりつぶしたので来年は高山本線に乗ろうかなと思います, 管理人さん、三江線廃止だそうですね乗りにいかねばならぬ気がしますが、18キップの発売が待ち遠しいのです、どうしましょう…, 廃止といったらはまなすも北斗星も、カシオペア…は分かりませんが、最近は廃止ラッシュが続いて、悲しい限りですまだ乗ったことないものがなくなって行くことは悲しいものですね…, 東海道本線を完乗されましたか!静岡地区は鬼畜だったでしょう(笑)。高山本線は新型気動車に変わっちゃいましたが、車窓はローカル色たっぷりで良かったですよ。, 三江線廃止のニュース、見ました。早ければ2017年度に廃止ということになるのでしょうか。三江線は車窓が素晴らしいみたいなので、痛いですねー。山陰旅のときに無理やり乗っとけば良かった……。, 予想通り「カシオペア」も「はまなす」も廃止らしいですね。これで北国の"生きた"鉄道遺産はほぼ全滅ですね。留萌本線の末端も廃止されるし、北海道の秘境駅も来年で結構な数が廃止されるのだとか。やりたいことは、今のうちにやっといた方がいいかもしれませんね!.