日本将棋連盟の棋士系統図のページです。日本将棋連盟は伝統文化としての将棋の普及発展と技術向上や将棋を通じた交流親善などを目的とした公益社団法人です。 複数の条件を同時に満たした場合は連盟が発表した方の事由を優先する。 プロ棋士・女流棋士へのお仕事依頼. 将棋の段級(しょうぎのだんきゅう)では、将棋における段級位制の概要について述べる。将棋の段級には3つの体系があり、それは棋士の段位(新進棋士奨励会の段級も含む)の体系、女流棋士の段級の体系、そしてアマチュアの段級の体系である。, 歴史的には、将棋の段級位制の確立は囲碁よりかなり遅く、18世紀になった享保2年(1717年)に、『将棊図彙考鑑』に段位の記載がされてからである[1][2]。それ以前は免状に、名人に対しての手合割を記載していた[3]。, また、棋力を示すものとして、段級のほかにレーティングという概念がある[注釈 1]が、プロの将棋では昭和初期に、公式のレーティングシステムとして比例得点制度が採用されたことがある。さらに、順位戦でのクラスも、棋力を示す指標とみなされることがある[4]。, 将棋界では、「九段」「四段」の読みとして、それぞれ「くだん」「よだん」が普通である(将棋以外の分野では「きゅうだん」「よんだん」と読むこともある)。ただし、「七段」の読みとしては「ななだん」と「しちだん」が混在している[注釈 2]。, 棋士(プロ)の段位は四段から九段までである。三段以下は新進棋士奨励会(奨励会)の段級位となっている。奨励会の段級位と棋士の段級位は連続しており、奨励会の三段から四段に昇段することでプロ棋士となる(例外的に、アマチュアや女流棋士から直接四段の棋士になる道もある。これについては「棋士 (将棋)」を参照)。, 昭和9年(1934年)に大阪で升田幸三が初段になった頃までは、(囲碁と同じく)「初段からが専門棋士」だった[5]。その頃、それと並行して奨励会ができた(東京は昭和3年(1928年)、大阪は昭和10年(1935年))ことをきっかけに、「(奨励会を卒業して)四段からプロ棋士」という制度が確立していった[6]。, なお、木村義雄の自伝には「昭和13年(1938年)時点で決めた棋士の給料体系」について「四段以下奨励会の人々は、まだ修行中のため、給料はなく下宿料程度」(太字は引用者による)と記述されている[7]。, プロ棋士にとっては、段位は肩書でもある。タイトル保持者はタイトルが優先され、また特に竜王と名人についてはさらに優先される。一例として、ある棋士が竜王・名人・棋聖の3つのタイトルを保持していると仮定すると、この棋士の呼称は「竜王・名人」である。ただし、棋聖戦を主催する産経新聞社による呼称は「棋聖」である。また、棋聖戦に関する報道においては、他の報道機関(例:朝日新聞社)も「棋聖」と呼称する[8]。このケースでは他に、タイトル戦ではなく選手権であるが、NHK杯戦の場合、NHK杯戦放送時やNHKでの報道媒体に限り、当該年度のNHK杯戦前回優勝者は「NHK杯選手権者」と呼称。, 引退棋士と物故棋士は、(1)永世称号、(2)日本将棋連盟から贈られた称号、(3)段位、の優先順位に基づいて呼称される。永世名人の他に複数の永世称号を有している大山康晴と中原誠は、それぞれ「大山康晴十五世名人」「中原誠十六世名人」と永世名人の称号が優先されている[注釈 3]。, アマチュア選手がプロ公式戦に参加する場合、日本将棋連盟では「●●アマ」と一律に呼称し、アマ段位は付さない[12]。, 現役棋士の昇段は、この表の規定を基本としている(日本将棋連盟公式サイトに詳細な解説あり[13][14])。, 昇段は基本的に1段ごと[注釈 16]、かつ、1年に1回以内であったが、2006年度から竜王戦の規定での昇段のみ、飛付き昇段と1年以内の2度以上の昇段が認められるようになった[注釈 17]。, 2009年度からは、順位戦の昇級に伴う昇段や、全棋士参加棋戦優勝による昇段、タイトル挑戦・獲得関連の昇段についても同様に、昇段規定を満たした時点での昇段となり、「1年に一段位」という制限はなくなり、タイトル獲得による飛付き昇段も可能になった[17][注釈 8][注釈 21]。, 2018年6月1日、八段への昇段規定に「(竜王・名人以外の)タイトル獲得2期」が加えられた[15][注釈 12]。, 八段で引退した棋士に(「九段」ではなく)「名誉九段」が贈られた例があり、金易二郎・渡辺東一・加藤治郎・高柳敏夫・佐瀬勇次の5名に対し、いずれも生前に贈られている[19]。, 八段以下の棋士が死去した場合、追悼の意味で昇段させることがある。八段まで昇段して現役のまま死去した山田道美・板谷進・村山聖・真部一男の4名は、いずれも九段を追贈された。この場合、名誉九段ではなく「九段」である。ただし、昇段規定を満たしての九段と区別するため、「追贈九段」もしくは「九段(追贈)」と表記されることもある。最近の事例(2018年現在)としては、2016年12月25日に現役のまま死去した伊藤能六段が七段を追贈された例、2015年1月30日に死去した河口俊彦七段(2002年に引退)が八段を追贈された例がある。, また、大野源一、花村元司[20]、坂口允彦、灘蓮照[20]、松田茂役の5名は、生前の九段への昇段事由が「贈九段」となっている。1981年の松田を最後に、この事例はなくなっている。, 元来、将棋界の段位は「八段」が最高位であり、「九段」「十段」は存在しなかった。 ただし、1902年(明治35年)に時の名人であった小野五平が作成した、相撲の番付を模した『将棋有名鑑』に「取締 京橋築地 日本西洋将棋指南 九段 名人 小野五平」と記載されている事例がある[21]。, 1943年、将棋大成会は名人位とは別に「九段位」を設けることを決定し、讀賣報知紙上で、全八段・七段が参加する「九段設定戦」が開始された[22]。1945年5月に新聞発行不能で休止に[23]。戦後、1945年11月から、讀賣報知紙上で「九段設定戦」が再開[24]。しかし、「九段位」は誕生しなかった。, さらに、1950年には「九段戦」が設けられ、タイトル獲得者には段位ではなく、名人に次ぐ「タイトルとしての九段」が与えられることになった。その後、1958年に「段位としての九段」への昇段規定が定められ、大山康晴と升田幸三が九段に昇段している。, しかし「タイトルとしての九段」と「段位としての九段」は、前者は失冠すれば名乗れなくなるが後者は永久に名乗れるという実際上の違いがあるにすぎず、明確に区別されるものではなかったようである。実際に「タイトルとしての九段」を三連覇すると「永世称号としての永世九段」が与えられるが、永久に名乗れるか否かという区別が失われることから、「永世称号としての永世九段」と「段位としての九段」とは、ほぼ完全に同一視されていた。, 1954年に九段のタイトルを3連覇して永世称号の資格を得た塚田正夫について、清水孝晏[注釈 29]、大山康晴、青野照市がそれぞれ著書で次のように述べている。, また、大山康晴は1960年に九段戦三連覇を果たし、「永世称号としての永世九段」の条件を満たすが、すでにほぼ同一の資格である「段位としての九段」に昇段していたため、新たに永世称号を獲得したものとはみなされなかった。, このように、当時の棋士・連盟は「段位としての九段」と「タイトルとしての九段」の区別に敏感ではなかったが、これらが混在することにより、例えば1958年度から1961年度まではタイトルとしての大山九段への挑戦権を争う者の中に塚田九段や升田九段が含まれるという見る者にとって非常に分かりにくい状況にあった。, そこで、1962年度から九段戦は「十段戦」に移行し、タイトル称号は「九段」から「十段」に改められた。1988年度から、十段戦が発展解消されて竜王戦となり、「十段」の称号はなくなった。ただし、十段のタイトルを多数回獲得した者に「永世十段」の称号が与えられ、大山康晴と中原誠の2名がその該当者となった。, なお、永世九段の有資格者である塚田正夫に対しては、没後に「名誉十段」の称号が追贈された。また、棋士ではないが、名人400年を記念して日本将棋連盟が徳川家康に十段を贈っている。, 2001年には加藤一二三が、棋士会において、自身が九段昇段後の1,000勝を達成したことを示し、(タイトル称号の「十段」ではなく)段位としての「十段」の新設し、自身に授与することを提案した。, 1973年当時、日本将棋連盟会長だった加藤治郎の提案により[31]、それまでは「(原則として)名人3期」のみであった九段昇段の条件が緩和され、「九段昇格規定30点(かつ八段に昇段していること)」と「タイトル3期(かつ八段に昇段していること)[注釈 31]」の2つが加えられた[32]。背景には、当時囲碁では九段の棋士が多数存在していたのに対し将棋では僅か3人だったことがあり、一説には「A級八段の将棋棋士が九段の囲碁棋士と同席した際、段位によって待遇に差をつけられることがあったため、将棋界ももう少し九段を作ろうということになった」という[32]。, また、その後、昇段規定の追加やさらなる緩和が行われ、2018年現在の九段昇段規定は「八段昇段後公式戦250勝(勝数規定)[32]」、「名人1期」、「竜王2期」、「タイトル3期」となっている。また、フリークラスの棋士については、八段昇段後の公式戦勝数にフリークラス在籍年数を勘案した九段への昇段規定がある(2019年現在、フリークラス規定によって現役で九段昇段したのは田丸昇のみ)[18]。, 現役で段位が九段になった棋士の一覧を示す。項目名のボタンをクリックすれば、並べ替え(ソート)が可能である。 将棋の師匠になるための条件とは? 将棋の師匠となる条件はたった1つ。 四段以上の棋士であれば誰でもなることができます。 意外と師匠の条件は決められていないようですね。プロ棋士であれば実力、年齢問わずということです。 将棋の弟子になる方法 Copyright(c) 2016 Japan Shogi Association , All rights reserved.

左端の数字は棋士番号であり、小さい番号であるほどプロ入りが早かったことを表す。, 奨励会に入会した者は、多くの場合6級からスタートして奨励会員同士の対局をし、規定以上の成績を挙げると一つ上の段級位に昇進できる。三段に昇進すると「三段リーグ」に参加して三段同士のみの対局を行い、そこで所定の成績を収めると四段の棋士になる。, 奨励会では、成績不振による「降段点」・「降級点」を2度取ると降段・降級となる。成績不振の場合は降級して7級になる場合もある。過去に存在した奨励会の下部組織「奨励会初等科」では7級から10級までの級位が存在したものの、現在は8級以下は存在せず、7級から降級した場合には退会となる。降段・降級があるという点で、奨励会の段級位制は将棋界の中で特異なものである。, 女流棋士(女流2級以上)となる方法については、女流棋士 (将棋)#女流棋士になる条件を参照。, 女流棋士の段級位と、棋士・奨励会員の段級位の体系は異なる。女流棋士の段級位は2020年(令和2年)時点で女流2級から女流七段までだが、女流タイトルを保持するトップ女流棋士でも、棋士との公式対局での勝率は、2018年(平成30年)度終了時点で2割程度であった[注釈 36]。, 女流棋士の昇級・昇段規定は、日本将棋連盟ホームページの「昇段規定:日本将棋連盟」で公表されている。, 日本女子プロ将棋協会 (LPSA) の昇級・昇段規定は、日本女子プロ将棋協会ホームページの「棋士規程」で公表されている。2012年(平成24年)の公益社団法人化に際して制定された[36]。日本将棋連盟の昇級・昇段規定に、LPSA主催棋戦の戦績による規定が加わったものとなっていたが、2014年(平成26年)5月30日に改正され将棋連盟と全く同一のものとなっている[37]。, アマチュアには、15級[注釈 42]から九段までの段級位がある。初段以降は免状が、1級までは級位認定状が、それぞれ日本将棋連盟から発行される(原則として有料)[63]。, なお、アマチュアの段級位とプロの段級位は体系が大きく異なっており、日本将棋連盟は奨励会の6級がアマチュアの三段 - 四段、あるいは五段に相当するとしている[64][65]。また、女流2級はアマチュアの二段 - 四段相当としている。渡辺明は2008年に「アマトップの方々は奨励会で言えばプロ手前の二段から三段の力はある」と述べている[66]。, アマチュアの最上位クラスにはプロにはなれなかった元奨励会員も多くおり、実際にアマチュアトップは元奨励会三段であることも多い。どちらにしても元奨励会三段に勝てる実力がなければアマのトップには立てない。, プロは奨励会に入会する時点で相応の棋力を要するため、相対的に上下の実力差は小さいが、アマチュアは全くの初心者からプロ公式戦で勝利する者まで実力差が極めて大きい。, アマチュアの段級位(六段以下)については、以下のいずれかの方法で申請資格を得た上で、日本将棋連盟に免状・認定状の発行を申請できる[67]。, 後述する所定のアマチュア大会で所定の成績を収めた場合には、免状が贈呈される(特に料金はかからない)。しかしそれ以外の方法による場合は、段位免状・級位認定状の発行が有料であるため、囲碁と同様に地方の棋界では、免状を持たない「段格」のアマチュア棋士が存在する。また、同じ段級位でも取得方法によって難易度が異なる。認定問題による獲得は比較的易しく、逆に将棋倶楽部24での取得は非常に難しいとされる。, アマチュア竜王戦の全国大会優勝者にはアマ七段が贈られる[68]。この他にも、日本将棋連盟主催のアマチュア将棋大会での成績によってアマ四段〜六段が授与され、同一大会で3回優勝するとアマ七段が授与される[69]。ただし学生棋戦や女性棋戦においては独自の運用がなされており、三段以下の免状が贈られることもある[70][71]。さらに、日本将棋連盟が主催しない大会の中にも、所定の成績を収めれば免状が贈られるものがある[72]。, 事実上の最高段位であるアマ八段については「(1)アマチュア竜王戦全国大会(第19回以降)で、通算3回の優勝(2010年に規定が設けられたが、2017年現在、該当者はまだ出ていない)[73]」「(2)検定試験(筆記、ネット[74])」「(3)プロ棋士の推薦」の3つの取得方法があり、2000年から2016年の間に44名がアマ八段を取得している[75]。, また、政治家や、著名人、将棋普及への貢献者などに、名誉称号の意味合いを含めたアマチュア段位免状が贈呈されることがある。政治家の田中角栄[注釈 43]・福田赳夫、将棋普及に貢献した永井英明[76]、読売新聞社のトップを長く務める渡邉恒雄らには、アマ八段が贈られている。, 2011年には、日本将棋連盟東海本部(現日本将棋連盟東海普及連合会)の設立に尽力した堀田正夫に、史上初となるアマ九段が贈られた(堀田には2002年にアマ八段が贈られていた)[77]。, 2014年9月23日、くまモンにアマ初段が贈られた(ゆるキャラに段位が授与された初めての事例)[78]。, 江戸時代は将棋所を名乗る「将棋三家」(大橋本家・大橋分家・伊藤家)が免状を発行していた。明治時代になっても依然として三家が発行権を握っていたが、大橋分家、伊藤家は絶え、残る大橋本家も十二代当主の大橋宗金が1910年(明治43年)に死去し、以降の大橋本家は将棋界から手を引いていった。宗金は自身は五段に留まったため、早くから免状の審査を小野五平(のちの十二世名人)、のちに関根金次郎(のちの十三世名人)に委託していた。, こうして、時の名人が免状を発行するようになったが、名人だけでなく時の実力者も勝手に免状を発行するようになった。1927年、日本将棋連盟(旧)が発足し[注釈 44]、1935年に実力制名人戦が始まったことで、免状発行権も日本将棋連盟(旧)に一元化された(1941年8月1日、名人以外に八段が発行していた免状が、将棋大成会会長名義でのみ発行されるようにに統一された[79])。, 戦前の将棋界においては、「専門棋士」と呼称されたプロには免状を発行しなかった[80]。専門棋士が規定に基づいて昇段すると、昇段の事実と氏名が発表されるのみであった[80]。, 初段以上の免状には、日本将棋連盟会長・名人・竜王が直筆で署名する[81]。過去には、永世名人が署名に加わったこともある[82]。また、通常は名人・竜王保持者がその他のタイトルを保持している場合でもそれらは免状に記載しないが、羽生善治が七冠を達成した際には全タイトルを併記した特別免状が発行されたことがある。現在でも永世名人(または永世名人資格者)や他の棋士の署名を付けるキャンペーンが不定期で行われている[83]。推薦人やその他の棋士の署名を希望することもできるが、費用は応相談となる。, 免状の発行数は非公開だが、米長邦雄[注釈 45]は「年間1万本近く署名する」と述べている[84]。署名を続けていると和紙の繊維が舞い上がり綿埃のようになるため、署名の際にはマスクが手放せないという[84]。, 一方、級位認定状は連盟会長の署名が印刷されるのみとなり、文面も15級 - 1級まで全て同じである。, 対象は棋士・女流棋士・指導棋士。署名は日本将棋連盟会長のみで、名人・竜王の署名はない[85]。女流棋士(原則として女流2級でプロ入り)は、女流初段以上で免状が授与される[注釈 46]。, 日本将棋連盟の委嘱により、作家で好棋家であった瀧井孝作が撰した文面が、1958年(昭和33年)から[87]免状に使われ続けている[88]。初段から九段まで、それぞれ異なる文面である[88](各段免状の文面・読み方・意味[89])。アマ免状は段位を「允許」、プロ免状は「免許」[90]と表現する(ただし、八段以上はどちらも「推ス」)[80]。対象者の表記は、アマは「(氏名)殿」、プロは「棋士(氏名)」「女流棋士(氏名)」「指導棋士(氏名)」となる[91]。, プロ免状は、年に2回、4月半ばの「将棋大賞表彰式・免状授与式」[92]、11月17日(将棋の日)の「『将棋の日』表彰・感謝の式典」[93]において(いずれも東京・将棋会館、関西将棋会館の2か所で開催)、昇段者に授与される。, 王将・玉将 - 飛車→(竜王) - 角行→(竜馬) - 金将 - 銀将→(成銀) - 桂馬→(成桂) - 香車→(成香) - 歩兵→(と金), 行き所のない駒 - 打ち歩詰め - 王手 - 後手 - 先手 - 千日手 - 詰み - 成駒 - 二歩 - 入玉 - 必至 - 封じ手 - 振り駒 - 待った - 持ち駒 - 持ち時間, 合駒 - 居玉 - 上手と下手 - 大駒・小駒 - 飾り駒 - 感想戦 - 奇襲戦法 - 棋譜 - 棋風 - 急戦 - 棋力 - 公開対局 - 持久戦 - 定跡 - 攻め - 大局観 - 太刀盛り - 中段玉 - 長考 - 付き人 - 手順前後 - 手待ち - 成金 - 羽生マジック - 藤井マジック - ハメ手 - 早指し - 盤外戦 - 盤寿 - 番勝負 - 妙手 - 米長玉 - 力戦 - 両取り - レーティング, 将棋界 - 棋士 - 棋戦 - 将棋の段級 - 日本将棋連盟 - 日本女子プロ将棋協会 - 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竜王戦の昇段規定で、従来「竜王ランキング戦(各組トーナメント)連続2回優勝」であったものが、2006年2月に条件が緩和され「連続2回昇級」に改められた。「連続2回優勝」の難易度は高かったため、その規定で昇段したのは、第1期を除く17年間(第2期 - 第18期)において僅か2例のみであった。, 竜王挑戦の場合は七段に昇段となる。名人については挑戦資格が順位戦A級在位者に限定されており、八段への昇段規定「順位戦A級昇級」が存在するため、名人挑戦者の段位は必然的に八段以上である。, 竜王戦・名人戦以外のタイトル棋戦での挑戦・獲得の規定による昇段の第1号は、2010年度に, 第3期叡王戦では高見泰地が決勝七番勝負に進出したことにより六段に昇段した。叡王戦はタイトル戦となって一期目であり、当期では決勝進出者同士による番勝負によってタイトル保持者たる叡王を決定することとなっていたため、決勝進出がタイトル挑戦に準じるとされた。, 2009年4月1日に追加された規定である。ちなみに、棋戦優勝の規定が追加される前の特別昇段の最後の例は、, 対象者は3組以下の在籍者が竜王の挑戦権を獲得した場合に適用される。この場合、飛び昇級で1組に昇級するため、実質的に1組昇級による昇段と同等の規定である。, 「タイトル2期」の規定制定後、この規定によって初めて八段に昇段したのは、2019年に, 「(名人以外の)タイトル3期獲得かつ八段に昇段していること」という九段への昇段規定により, 竜王ランキング戦による昇段が「連続昇級」に緩和された2006年以降、2018年までの3組在籍者は全員五段以上であり、それ以前も含め「2組昇級で六段に昇段」の規定により四段から六段まで飛付き昇段した例はない。四段のまま3組まで昇級するには、5組昇級→5組残留→4組昇級→4組残留→3組昇級と最低5年かかるが、この規定で飛付き昇段するためには最低6年かかる。この場合は連続昇級(4組→3組→2組)と2組昇級の2つの昇段規定を満たすため、単一条件で飛付き昇段をするためには3組残留を挟んで最低7年はかかる。, なお、順位戦では1年に1つしか昇級できず、名人への挑戦権もA級棋士に限られるため、飛びつき昇段は発生せず、同一年度内での複数の昇段も起きない。, 従来は昇級年度初日である4月1日付の昇段であったが、2009年以降から現行規定に改定された。, 従来は10月1日付けであったが、上述の飛びつき昇段の制度が導入された頃から現行規定に改定された。, 昇段を決めた対局が収録で行われるテレビ棋戦やインターネット棋戦であるため、対局日と放送日・配信日が異なる場合も昇段規定を達成した対局日が昇段の日付となる。この場合、昇段直後に昇段の発表は行われるが、テレビ放送やインターネット配信等で対局結果が公開されるまで、昇段理由は明示されない。, ただし、王将戦においては、挑戦者決定リーグのシステム上、他の棋士の敗戦によってタイトル挑戦が決まる場合もあるため、結果として対局が組まれない日や敗戦した日が昇段日となる場合がありうる。挑戦者決定のシステムが類似する女流名人戦におけるタイトル挑戦、及び、女流王位戦のリーグ残留についても同様である。, 斎藤慎太郎の場合、2020年2月13日21時15分に自身の対局を勝利しているが、他の昇級対象者が全員敗戦決定でA級昇級確定したのが深夜0時40分となっている。翌日連盟発表の昇段日は2月13日付となった。 近藤誠也の場合も、自身の勝利が2019年3月5日開始で終局が翌6日0時8分となったが、昇段日は3月5日付となった。, 以前は七段以下でタイトル3期獲得しても、九段への昇段には、別の昇段規定で八段昇段を達成する必要があったが、2018年6月1日付で「(竜王・名人以外の)タイトル2期獲得」により八段に昇段する規定が追加されたことで, 九段昇段当時は名人在位中であり、その後は保持していたタイトル称号や前名人を称し、現役中に「九段」を称することがないまま、永世称号(永世十段・十六世名人)を名乗っている。, 清水市代が、クイーン四冠=クイーン全冠を達成した2000年6月19日の時点では、女流タイトルは、女流名人、女流王位、女流王将、倉敷藤花の4つだった。その後、女王(第1期マイナビ女子オープン五番勝負は、2008年4月-5月)、女流王座(第1期女流王座戦五番勝負は、2011年10月-12月)、清麗(第1期ヒューリック杯清麗戦五番勝負は、2019年8月-9月)の3つが加わり、2020年3月時点で女流タイトルは、清麗、女王、女流王座、女流名人、女流王位、女流王将、倉敷藤花の7つになっている。, 1927年に、関東の棋士団体「東京将棋連盟」と関西の棋士団体「棋正会」が合同して「日本将棋連盟」(旧)が発足した。1936年に「将棋大成会」となった。1947年に「日本将棋連盟」に再びなった。その後、1949年に, 増川宏一『将棋の駒はなぜ40枚か』(集英社新書、2000年) 154-155ページ, 「名人戦棋士名鑑PART2 名人戦歴代挑戦者一覧 名人戦の歴史を彩った棋士たち」『マイナビムック 将棋世界 将棋名人戦 -昭和・平成 時代を映す名勝負』、マイナビ、2014年、pp.122-124。, 加藤治郎、原田泰夫『[証言]将棋昭和史』(執筆)田辺忠幸、毎日コミュニケーションズ P.229「将棋昭和史年表」(加藤久弥、越智信義), 加藤治郎、原田泰夫『[証言]将棋昭和史』(執筆)田辺忠幸、毎日コミュニケーションズ P.230「将棋昭和史年表」(加藤久弥、越智信義), 加藤治郎、原田泰夫『[証言]将棋昭和史』(執筆)田辺忠幸、毎日コミュニケーションズ P.226「将棋昭和史年表」(加藤久弥、越智信義), 女流3級で規定の成績を収めた者(<3>『女流棋士昇段級規定』の『女流1級へ』の条件を満たした場合), こまおと:日本将棋連盟は4月1日付で昇段規定を改定した(毎日新聞 2009年4月12日), 将棋コラム「プロ棋士昇段には5つの方法があった。意外と知られていない、その仕組みとは?」(ライター:佐藤友康), “【勝負師たちの系譜】戦後創設も狭き門だった「九段昇段」 長く続いた3人しかいない時代”, https://web.archive.org/web/20181009164338/https://www.zakzak.co.jp/soc/news/180325/soc1803250001-n1.html, レーティングシステムによる 『女流ランキング』 (2012年2月23日現在、Web魚拓), 日本将棋連盟 『女流棋士 公式戦(「男性棋戦」)通算成績一覧 (2012年2月24日現在、Web魚拓)』, 日本将棋連盟 2011年9月26日 『長谷川優貴研修会員が女流棋士3級の資格を取得』, 日本将棋連盟 『棋士紹介 清水 市代 (しみず いちよ)女流六段』(Web魚拓) 2012年2月25日現在, LPSA公式サイト 『所属女流棋士 中井広恵』 (Web魚拓)2012年2月24日現在, 高橋和の所属事務所「EGG TIMES」による、高橋のプロフィール(Web魚拓、2012年2月25日現在)に「(高橋は)2005年2月、子供たちへの将棋の普及活動に力を入れたいとの思いから、対局から引退」とある。, 日本将棋連盟 『棋士紹介 高橋 和 (たかはし やまと)女流三段』(Web魚拓) 2012年2月25日現在, (日本将棋連盟)女流棋士会からのお知らせ 2006年4月1日 『2006年4月1日付昇級昇段者』(Web魚拓) 2012年2月25日現在, 参加資格は、学生であること。小学生から大学院生までが参加する「全国オール学生将棋選手権戦」とは?, 西海の難波江さん将棋アマ八段 精進続く 趣味で70年 盤上に向かう毎日 長崎 | 長崎新聞, 大矢順正の記者ニュース 2005-11-21(月)の日記 『将棋の日 瀬川晶司四段に免状 ○レディースオープンは弟子が逆転勝利』, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=将棋の段級&oldid=80277035, 永世称号(日本将棋連盟により現役中の呼称を認められた者、あるいは現役で満60歳を迎えた, 四段の棋士が6組から5組に昇級し、その半年後に竜王戦以外の規定で五段昇段し、さらにその半年後に4組に昇級した場合、五段昇段から1年を経ていないが、竜王戦連続2回昇級により六段に昇段する, 順位戦昇級による昇段は、原則として規定のクラスへの昇級を決めた対局日が昇段の日付となる, 竜王ランキング戦昇級・優勝や竜王挑戦による昇段は、規定の昇級・優勝・挑戦を決めた対局日が昇段の日付となる, 棋戦優勝およびタイトル挑戦・獲得関連の昇段は、規定の棋戦優勝またはタイトル挑戦・獲得を決めた対局日が昇段の日付となる, 昇段の日付に関しては特に順位戦においては日を跨いだ深夜での昇級決定になることがあるが昇段日は日を跨がない(例として第78期B級1組, 理事会審議による特別昇段、フリークラス規定・引退棋士規定による昇段、特別記念や物故者への追贈等による昇段の場合は、日本将棋連盟が昇段日として発表した日付をもっての昇段となる。, 1954年(昭和29年)11月27日に、九段のタイトルを3期連続で獲得したことにより、塚田正夫が「永世称号としての永世九段」の資格を得た。当時の棋士の間では「永世称号としての九段」と「段位としての九段」は同一視されていたため、塚田の段位は九段であると認識されていた。, 1958年(昭和33年)4月17日に連盟の規約改正により、大山康晴と升田幸三が「段位としての九段」に昇段した。ただし、升田は名人の地位にあったため、名人失冠まで免状の発行が留保された。大山は「塚田の永世称号としての九段の資格」と「自身の段位としての九段の資格」は同一の資格と認識していたため、自身は2人目の九段だと語った。, 1958年(昭和33年)4月17日に、連盟の規約改正により、大山康晴と升田幸三の2人が「段位としての九段」となった。しかし、大山はその後もタイトルを保持し続けたため、九段を名乗ることはなかった。一方の升田は翌1959年にタイトルを失い無冠となったことから塚田に続いて「九段」を名乗る2人目の棋士となった。, プロ入り前に、マイナビ女子オープン本戦入りを2回果たしており、女流3級から女流2級への昇級規定「, LPSAにおいては、「同一年度に2回以上の昇段」を認めるか明示されていないが、連続昇段級者がいるため認めていることが確認できる。, 続いて同年度の2014年(平成26年)3月4日、第41期女流名人戦予選で渡辺弥生に勝利し予選決勝進出を決め、女流名人位戦予選決勝進出の成績により、女流1級へと連続昇級した, 女流六段以上への昇段については、「抜群の成績と実績(理事会審議)」と抽象的に示されているのみである。LPSAにおいても同様である。, 2020年(令和2年)4月時点にて、現役女流棋士として女流六段以上に昇段したのは、清水、中井、蛸島、里見の4名のみである。その他に、, 「女流棋士総則」の「降級点規定」による引退、および「引退女流棋士昇段規定」による昇段も存在する(, 日本将棋連盟のプロ棋士、または棋道師範・棋道指導員・将棋普及指導員の推薦を受ける。.