L'Arc-en-Ciel HONEYのPVについて 1 : 名無し :2005/06/21(火) 20:03:19 ID:cM37SEK2 L'Arc-en-CielHONEYのPVに出てる女性の名前をしりたいんですが L'Arc-en-CielのSTAY AWAYのPVに出ているダンサー(?)の、金髪の方が誰なのか、分かる方いらっしゃいましたら教えてください。宜しくお願い致します。 初期シングル15タイトル、12cm化 1994年10月にリリースされた『Blurry Eyes』から1998年10月にリリースされた『forbidden lover』までの8センチシングル15タイトルすべてが12cmシングルとして再発。(『浸食 lose control』のみ当時から12cmシングル)。, 約4年ぶりとなる待望のニューアルバムがついに発売決定。Amazon.co.jp限定版は未公開映像視聴コード付き。あわせて、過去作品20タイトルが大きなジャケット 「メガジャケ」 付きで登場。, 注記:Amazon.co.jpが販売・発送する一部の商品は、お一人様あたりのご注文数量を限定させていただいております。お一人様あたりのご注文上限数量を超えるご注文(同一のお名前及びご住所で複数のアカウントを作成・使用されてご注文された場合を含みます。)その他Amazon.co.jpにおいて不正なご注文とみなす場合には、予告なくご注文をキャンセルさせていただくことがあります。, 【メーカー特典あり】Don't be Afraid【完全生産限定 BIOHAZAD® × L'Arc-en-Ciel盤】(Blu-ray付)(“BIOHAZARD®×L'Arc-en-Cielショッピングバッグ"付), 全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。, さらに、映画もTV番組も見放題。200万曲が聴き放題 【Nico Nico L'Arc Station】, L'Arc〜en〜Ciel“20th L'Anniversary TOUR” ライヴビューイング, http://www.sanspo.com/geino/news/20120602/oth12060205050010-n1.html, 200インチの大画面でL'Arc〜en〜Cielのベスト・パフォーマンスを先行上映!, http://www.sonymusic.co.jp/artist/LArc-en-Ciel/info/429091, “iTunes in the Cloudが新たに映画に対応、複数のiOSデバイスで視聴可能に”, http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/news/20130807/1051345/?bpnet, 4K対応ブラビアでの「L’Arc〜en〜Ciel LIVE 2014 at 国立競技場」4Kダイジェスト映像の店頭視聴・体感に関するお知らせ, “ラルク・アン・シエル作品がハイレゾ配信 - 4K/ハイレゾ体験可能な記念イベントも”, http://www.phileweb.com/news/audio/201410/02/15000.html, “L'Arc~en~Ciel、初のドキュメンタリー映画を12月5日より8日間限定公開”, “ラルク、ドキュメンタリー映画『Over The L’Arc-en-Ciel』完全版を4月リリース”, “L'Arc-en-Ciel、9月連休に大阪で野外10万人ライブ「L'ArCASINO」”, L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2015 L'ArCASINO LIVE VIEWING, “L'Arc-en-Ciel、12月にニューシングル「Wings Flap」発表”, “L'Arc~en~Ciel、<L'ArCASINO>ライヴ音源6曲をハイレゾ配信決定”, “L'Arc〜en〜Ciel、新曲「Don’t be Afraid」フルデジタイズ360°MVを11月世界初配信”, “L'Arc-en-Ciel×バイオハザードコラボ曲パッケージ化、新ビジュアルも解禁”, L'Arc-en-Ciel 結成25年ライブ初日 「L'Arc-en-Ciel、25歳になりました」, L'Arc-en-Ciel結成25周年ライブが映像化、キャリア初のライブアルバムも発表, L'Arc~en~Ciel、期間限定イベント【L'ArChristmas Park】開催決定, L'Arc-en-Ciel、Xmasシーズンに東京ドーム2DAYS「L'ArChristmas」, L'Arc-en-Cielが“あの3曲”のMV一斉解禁、12月11日に新たな情報が, L'Arc〜en〜Ciel「ARENA TOUR MMXX」公演開催中止のお知らせ, “L'Arc-en-Cielアリーナツアー、新型コロナウイルス感染拡大で横浜&代々木4公演が中止”, L'Arc~en~Ciel「ARENA TOUR MMXX」WOWOW放送中止のお知らせ, V.A.「DEAD END Tribute -SONG OF LUNATICS-」特集 MORRIE×HYDE対談, 【対談連載】ASH DA HEROの“TALKING BLUES” 第1回ゲスト:Ken [L'Arc-en-Ciel], Ken、INORAN、OKAMOTO'S、SCANDALらフェンダーパーティに登場, 【対談】 THE NOVEMBERS小林とacid androidのyukihiroが語る、“構築的な美しさ”の源泉, 19 FOREVER 第107回 ゲスト:yukihiro (GEEK SLEEP SHEEP), 【対談】逹瑯(MUCC) × yukihiro (geek sleep sheep)、異種格闘技対談-Ring 番外編「SATOちに美意識がないんです!」, 今井寿×藤井麻輝SCHAFTツアーにYOW-ROW、上田剛士、yukihiro同行, http://twitter.com/CHLionRagbaby/status/16712075399, “「VISUAL JAPAN SUMMIT 2016」第7弾発表でHYDE×YOSHIKI追加&ライブビューイングも決定”, http://www.musicman-net.com/artist/61612.html, “Real Sound - 市川哲史 × 藤谷千明 対談:『VISUAL JAPAN SUMMIT』がシーンで果たした役割とは ”, http://realsound.jp/2016/12/post-10515.html, HYDE アルバム『FAITH』インタビュー『人々に自分っていう傷を付けておきたい』, 【詳細レポート】L'Arc-en-Ciel、<25th L'Anniversary LIVE>初日「L'edの輝きには君たちの想いが溢れていました」, http://www.jacompa.or.jp/rekishi/d1998.htm, 第13回日本ゴールドディスク大賞 / Gold Disc Hall of Fame 13th, 第14回日本ゴールドディスク大賞 / Gold Disc Hall of Fame 14th, 第15回日本ゴールドディスク大賞 / Gold Disc Hall of Fame 15th, 審査委員会推薦作品 : エンターテインメント部門 | 平成17年度(第9回)文化庁メディア芸術祭, L'Arc-en-Ciel Official Mobile Site L'mobile, HYDE ACOUSTIC CONCERT 2019 黑ミサ BIRTHDAY -WAKAYAMA-, FIRST TOUR 2010 ルーレットを回せ! 13」LIVE AT NISSIN POWER STATION '95. )」, 「Don't be Afraid -Biohazard×L'Arc-en-Ciel on PlayStation VR-」, 「Don't be Afraid」「Don't be Afraid -BIOHAZARD THE FINAL collaboration version-」, 21stシングル「Spirit dreams inside -another dream-」, MBS・TBS系アニメ『機動戦士ガンダム00』(ファーストシーズン) 第25話エンディングテーマ, MBS・TBS系アニメ『機動戦士ガンダム00』(セカンドシーズン) 第25話エンディングテーマ, 配信限定シングル「Don't be Afraid -English version-」, 2月、大阪で結成。結成当初のメンバーはtetsuyaを中心にhyde、hiro、peroの4人, 6月12日、難波ロケッツで行われたライブでhiroが脱退。後任としてkenが加入する, 6月14日 - 7月3日、初のコンサートツアー「Close by DUNE」を開催。8月1日には, 11月9日 - 12月20日、コンサートツアー「FEEL OF DUNE」を開催。, 7月14日 - 8月27日、コンサートツアー「Sense of time '94」を開催。, 2月1日、「Ciel」が正式に発足し、これを受けて1月24日 - 2月4日に発足記念ライブ「Ciel/winter '95」を開催する。, 7月30日、渋谷公会堂でキャンペーンイベント「Rendez-vous前夜祭」を開催。当日渋谷駅ハチ公前のスクリーンにて告知が行われた。, 8月24日 - 8月31日、メンバー自身による全国キャンペーンイベント「Rendez-vous 1995 Summer」を開催。, 9月9日 - 10月4日、コンサートツアー「TOUR heavenly '95」を開催。, 12月12日 - 12月25日、コンサートツアー「The other side of heavenly '95」を開催。, 8月26日 - 9月4日、コンサートツアー「BIG CITY NIGHTS ROUND AROUND '96」を開催。, 12月23日 - (1997年)1月29日、コンサートツアー「CONCERT TOUR '96〜'97 Carnival of True」開催。sakura在籍時最後のコンサートツアーとなる。, 12月16日 - 12月18日、バンド名を「the Zombies」として、シークレットコンサートツアー「Live Tour NIGHTMARE BEFORE CHRISTMAS EVE」をライブハウスで開催。あくまで「ラルクのコピーバンド」として登場。新曲や他のアーティストのカヴァー演奏なども披露した。, 5月1日 - 7月21日、コンサートツアー「Tour'98 ハートに火をつけろ!」前半を開催。, 9月3日 - 10月21日、コンサートツアー「Tour'98 ハートに火をつけろ!」後半を開催。ツアー全体で、全国47ヵ所計56公演を開催し23万人を動員。, 4月17日、新曲「STAY AWAY」が、各携帯電話へ着信メロディサービスを開始。全国のレコード店で限定200,000枚の着信メロディデータを掲載したフライヤーを配布した。, 4月21日、公式ファンクラブ「Ciel」が「LE-CIEL (ルゥ シエル)」に改称される。, 10月8日 - 10月27日、ライブハウスツアー「CLUB CIRCUIT 2000 REALIVE」を開催。, 6月25日、LE-CIEL会員限定ライブ「Akasaka Zero day」を開催。, 5月11日 - 6月27日、3年6ヶ月振りとなるコンサートツアー「SMILE TOUR 2004」を開催し、25万人を動員。, 12月25日、「天嘉 参 -DANGER III-」にスペシャルゲストとして参加し、新曲「Killing Me」を披露。, 12月26日、国立代々木競技場・第一体育館で行われた「鋼の錬金術師FESTIVAL」にシークレットゲストとして参加。, 7月28日、単発ライブ「AWAKE TOUR 2005前夜祭 「今夜奇跡が起きる! 8. L'Arc.mw-parser-output .jis2004font{font-family:"源ノ角ゴシック JP Normal","源ノ角ゴシック JP","Source Han Sans Normal","Source Han Sans","NotoSansJP-DemiLight","Noto Sans CJK JP DemiLight","ヒラギノ角ゴ ProN W3","ヒラギノ角ゴ ProN","Hiragino Kaku Gothic ProN","メイリオ",Meiryo,"新ゴ Pr6N R","A-OTF 新ゴ Pr6N R","小塚ゴシック Pr6N M","IPAexゴシック","Takaoゴシック","XANO明朝U32","XANO明朝","和田研中丸ゴシック2004絵文字","和田研中丸ゴシック2004ARIB","和田研中丸ゴシック2004P4","和田研細丸ゴシック2004絵文字","和田研細丸ゴシック2004ARIB","和田研細丸ゴシック2004P4","和田研細丸ゴシックProN",YOzFont04,"IPA Pゴシック","Yu Gothic UI","Meiryo UI","MS Pゴシック";font-feature-settings:"jp04"1}〜en〜Ciel[注釈 2](ラルク アン シエル[注釈 3])は、日本の4人組ロックバンド。1991年結成。通称・略称は主にラルクが用いられる。, プロダクションはMAVERICK、レコード会社はソニー・ミュージックレーベルズの社内レーベル、キューンミュージックに所属する。公式ファンクラブ名は「LE-CIEL」[2](1995年設立)。公式モバイルサイト名は「L'mobile」[3](2009年設立)。, 1991年2月頃、兵庫県西宮北口駅のスタジオにて[5][6]tetsuyaを中心に結成される。グループ名はフランス語の「虹」を意味する l'arc〜en〜ciel[注釈 18] (フランス語発音: [laʀkɑ̃sjɛl] ラルコンスィエル、ラフコンスィエル[注釈 19])。グループ名決定の経緯は諸説あり、阪急梅田三番街にある喫茶店[注釈 20]の名前をtetsuyaが気に入り、そこから取ったという説が有力であるとされてきたが、tetsuyaによって否定された[7]。実際には、当時本屋などで資料を探していたtetsuyaがこの言葉をたまたま見つけ、見た目や響き、さらには様々な色を表現する「虹」が「音楽」の表現という点で共通していると感じたため、この名前をつけたという[8]。また、tetsuyaは「長くて覚えにくいけど、ローマ字表記にしたらインパクトがあると思った」とも語っている[8][要ページ番号]。因みに、バンドの公式ファンクラブ「LE-CIEL」は、フランス語で「空」という意味があり、ファンとバンドが"空"と"虹"のような関係になりたいという思いが込められている。, 当時のメンバーはtetsuya (ベース・当時は「tetsu」)、hyde (ヴォーカル・当時は「hide」)、hiro (ギター)、pero (ドラムス)の4人で、インディーズ時代は関西を拠点に活動した。ちなみに、L'Arc〜en〜Cielを結成する前にhydeとperoの2名はJelsarem's Rodというバンドで共に活動しており、Jelsarem's Rodとして参加したセッション大会で偶然tetsuyaと遭遇して以降、tetsuyaがhydeに対し「バンドを作ろう」と電話などで誘い続け、結果tetsuyaらとセッションを行った[9]。その後、Jelsarem's Rodのメインコンポーザーも兼ねていたhydeが「活動の行き詰まりを感じて」解散。セッションの縁からL'Arc〜en〜Cielに加入することとなった[9]。結成後、5月30日に当時のホームグラウンドとしていた難波ロケッツで行ったファーストライブは、いわゆる対バン形式ながらも100人以上を動員。また、9月27日に同所で行われた初のワンマンライブでは300人以上の動員を記録するなど、結成間もなくのインディーズバンドとしては異例の動員数を誇っていた。, また、当時他のインディーズバンドが活発にライブ活動を行う中、L'Arc〜en〜Cielは結成当時はあまりライブを行わないスタンスをとっていた。これについてtetsuyaは「ライブの本数はあえて絞った」「大阪に観に来てもらう、東京からでも来てもらう、それぐらいの気持ちでやっていた」と語っている[10]。また、ライブの本数を減らしたことで、口コミにより動員数が増加したと振り返っている[10]。また、L'Arc〜en〜Cielはインディーズ時代にデモテープの公式配布・公式販売は一切行っておらず、「ライブに来ないと曲を聴けない」「自分達が納得するタイミングと形になるまで世に出さない」というやり方をとっていた[10]。, 1992年に入り、3月にはオリジナルのビデオ『L'Arc-en-Ciel』のプレゼントライブを大阪の他に東京でも行い、関東地方にも活動拠点を広げるが[11]、6月12日の難波ロケッツで行われたライブ終了をもってギタリストのhiroが脱退することとなった。後釜にはtetsuyaと学生時代に親交のあったkenが加入。kenは同年6月25日の新宿ロフトで行われたライブでL'Arc〜en〜Cielとして初めてステージに立つこととなった。, ken加入直後からアルバムのレコーディングを行い、完成直前まで漕ぎ着けたものの、メンバー曰く「出来映えが気に入らなかった」ため全曲をボツにしアルバムを発売しない意向を取った[12]。また、これに関しては脱退したhiro側から「自分の曲を使わないでほしい」と言われたことも理由の一つになっている。しかし、この一件で当時所属していた事務所との間に軋轢が生まれ、レコーディングに掛かった経費などの支払いを命じられることとなる。これとほぼ同時期に、デンジャークルー (現:マーヴェリック・ディー・シー・グループ) 社長の大石征裕から「うちの事務所に来て欲しい」と誘いがあり、そのままデンジャークルーへ移籍。この時の金銭問題は、事務所間での話し合いで全て白紙となった[12]。ちなみに、インディーズ時代に唯一リリースされた生産限定シングル「Floods of tears/夜想花」は、前述の金銭問題を処理する為にリリースされたものである[12]。そして、このシングルリリース直後の1992年12月30日に大阪ミューズホールで行われたオールナイトライブをもって、ドラマーのperoが脱退することとなった。, 1993年1月16日、前年脱退したperoに代わりsakuraが加入。加入後に約1ヶ月間のレコーディングに入り[13]、1stアルバム『DUNE』をデンジャークルーレコードより発売。限定リリースのCDを除く初の公式発売音源となった。5月10日付のオリコンインディーズアルバム週間チャートでは首位を獲得し、インディーズでの人気を不動のものとする。, 1993年夏、当時CDショップでアルバイトをしていたtetsuyaが「店に来た担当の人間を気に入った」という理由から[14]、1992年にソニー・ミュージックエンタテインメント内で新規レーベルとして設立されたばかりの「キューン・ソニーレコード」と契約を結ぶ。, 1994年7月1日、ビデオシングル『眠りによせて』を発売しメジャーデビューする。同年7月14日には2ndアルバム『Tierra』、同年10月21日にはシングル「Blurry Eyes」を発売し、メジャーレーベルでの本格的な活動を開始した。ちなみに、当時メンバーの口からメジャーデビューの発表は一切行われていない。このことに関し、tetsuyaは「ライブや広告でメジャーデビューを発表するトレンドが嫌だった[15]」と述べている。, メジャーデビュー直後はインディーズ時代からのファンも多かったが、デビュー後初めて行った全国ライブツアー「Tour Sense of time '94」の東京ベイNKホール公演などでチケットがソールドアウトしないという事態が発生した。以後は「スタッフに全て任せきり」だったコンサートの会場決め、プロモーションなどをインディーズ時代のようにメンバー主導で行うようになった[16]。hydeは当時を振り返り、「自らが主導権を握って活動していなければ、多分(バンドは)終わっていたと思う[17]」と述べている。, 1995年1月からは公式ファンクラブ「Ciel(現・LE-CIEL)」の発足記念ライブツアー「Ciel/winter '95」を開催。同年5月21日からはライブツアー「in CLUB '95」を開催。ツアー初日に合わせ、ビデオシングル『and She Said』を発売。さらに、同ツアーでは同年9月にリリースされる3rdアルバム『heavenly』の収録曲を先行披露して廻るなど、ライブを積極的に行う活動にシフトしていった。また、アルバムを引っ提げて行われたライブツアー「TOUR heavenly '95」では初の日本武道館公演を開催し、徐々に人気を広げ動員規模を拡大していった。, 1996年5月には、ライブ「Kiss me heavenly deadly '96 REVENGE」を開催し、2年前のリベンジとなる東京ベイNKホールでのソールドアウトを達成。また、同年7月からシングル3作品を立て続けにリリースした。中でも10月17日に発売したシングル「flower」は累計30万枚以上を売り上げるヒット作となった。さらに、同年12月には4thアルバム『True』を発売。過去のアルバム3作と異なり、6人のアレンジャーを迎えて制作されたアルバムとなっており、「L'Arc〜en〜Cielの前期の集大成[18]」といえる作品となった。アルバムは発売6週目でメジャーデビュー後では初となるオリコン週間アルバムチャート首位を獲得。その後、チャートに自己最長となる110週ランクインし、シングル・アルバム通じて初のミリオンセラーを記録した。, 前年から1997年初頭にかけて初のアリーナツアー「CONCERT TOUR '96〜'97 Carnival of True」を開催するなど人気は過熱しはじめ、ヒット街道を驀進するものと思われたが、同年2月にドラマーのsakuraが覚醒剤取締法違反で逮捕される。これにより、活動予定を全て白紙化することとなった。それに留まらず、これまでにリリースした全てのシングル・アルバム・映像作品の出荷を一時停止し、完全なバンド活動休止体制へ突入した。(詳細は"不祥事"の項目参照), sakuraの逮捕後、「曲作りとリフレッシュ」の名目で渡英し、アルバムレコーディングを含め数ヶ月間の滞在をする。この間にサポートドラムとして元ZI:KILL、DIE IN CRIESのドラマー・yukihiroが参加したセッションなどが行われ、1997年10月に長い休止から復活。直後発売したシングル「虹」は初動30万枚、累計70万枚以上を売上げ、当時の自己最高初動・最高売上を記録した。同年12月には、L'Arc〜en〜Cielのコピーバンド"the Zombies"を期間限定で結成。同月16日から18日の3日間限定で、変名バンド名義でライブ「Live Tour NIGHTMARE BEFORE CHRISTMAS EVE」を東京・大阪のライブハウスにおいて開催した。, 同年12月23日には、自身初の東京ドーム公演となる復活ライブ「L'Arc〜en〜Ciel 1997 REINCARNATION」を開催。チケットが当時の最速記録である4分で完売と、当時絶頂にあったバンドブームと重なり休止前までには無かったほどの爆発的人気を得ることになった。また、後年tetsuyaはこの公演を振り返り、「賭けだった」と述べており、「同じような会場で同じようなことをやっても、ラルクはもうダメになっちゃったと思われるんじゃないかって、だから絶対に良くなったって思わせたかった[19]」と語っている。, 1998年1月1日にはサポートドラマーとして参加していたyukihiroが正式に加入。加入直後にシングル「winter fall」を発売し、自身初となるオリコン週間シングルチャート首位を獲得。シングルリリースの翌月には5thアルバム『HEART』を発売。ちなみに、この作品が岡野ハジメ(ex.PINK)が共同プロデューサーとして楽曲制作に携わる初のアルバムとなった。本作はアジア各国でアルバムの海賊盤が多数出回り始めたことや、海外からの要望が高まったことから、日本の他、台湾、香港、タイ、マレーシア、シンガポールのアジア6ヶ国においてリリースされた[20]。これがL'Arc〜en〜Cielとして海外進出する第一歩となった。, また、yukihiroが正式加入して初めてのツアーとして、1998年5月より自己最長となる全国45都市56公演にも及ぶホールツアー「Tour'98 ハートに火をつけろ!」を敢行。tetsuyaは後年この長期ツアーを振り返り、「yukihiroが加入した後だったので、この4人がL'Arc〜en〜Cielなんだというイメージを植え付けたいという意識がどこかにあった[21]」「そのためにはそれまでにやった以上に数多くのライヴをやることだな、たくさんリリースすることだなって思ってた[21]」と述べている。, 前述のアルバム発売以降も連続かつ集中的なリリースパターンを取り、1998年7月には「HONEY」「花葬」「浸食 〜lose control〜」のシングル3作を同時発売した。この同時発売により、発売2週目にはオリコン週間シングルチャート1位と2位を独占し、「HONEY」「花葬」の2作がシングルとしては初のミリオンセラーを記録。中でも自身のシングル最高売上を記録した「HONEY」は、全日本有線放送大賞を獲得する他、初出場となったNHK紅白歌合戦において披露された。さらに、10月には「snow drop」「forbidden lover」のシングル2作を2週連続発売し、オリコンチャート史上初の2度目のシングルチャート1位と2位の独占を達成し大きな注目を浴びた。なお、この年リリースしたシングル7作全てがオリコン年間シングルランキングTOP30入りを果たした。, さらに、翌1999年7月には6thアルバム『ark』と7thアルバム『ray』のアルバム2作を同時発売。2作合わせ初動300万枚以上、トータルセールス600万枚以上を売り上げ[22]、2作ともオリコン歴代アルバムランキングTOP100にランクインするほどの大ヒット作となった。また、本作は日本を含め、台湾、香港、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピンのアジア7ヶ国においてリリースされた[23]。, また、同時期からフリーの映像ディレクター・箭内道彦が主な広告ディレクションを担当するようになり[24]、藤原喜明、風間杜夫やユースケ・サンタマリアの起用を始めとするバラエティに富んだ広告展開を行うようになる。テレビCMでは「グループ名『L'Arc〜en〜Ciel(ラルク・アン・シエル)』の正しい読み方を広く認知させる」もの[注釈 21]や「記者会見風の『活動予定告知』告知」を流し、新聞広告では「新曲の着信メロディの作成方法」や、コンピュータグラフィックスで作成した「坊主頭のメンバーの写真」などのような、それまでにはない奇抜なものを掲載するなどして注目を集めていった。後年に箭内は当時のディレクションを振り返り、「アンチで人を驚かせるようなものはマイナーな場所には山ほどあるが、それをメジャーシーンでやることに意義がある[25]」として、「メジャーで、アンチで、びっくり[25]」をテーマに広告を制作していたと述べている。また、「常に世の中やファンを裏切るような、次に何が出てくるかわからないような流れを作りたかった[25]」と述懐している。, 1999年7月からは自身初の野外ライブツアー「1999 GRAND CROSS TOUR」を全国6都市で開催。「誰もコンサートをやっていないところで(ライブを)やろう[26]」という目的から、本公演では既存のスタジアムを用いず、各会場に特設ステージを設置する大掛かりなものとなり、全12公演で65万人を動員する自己最大規模のツアーとなった[27]。また、8月21日・22日に行われた同ツアーの東京・東京国際展示場 駐車場特設ステージ公演では、自己最多動員数となる12万5千人 (両日25万人)を動員したライブを敢行した。さらに、21日の東京公演はViewsic (現・MUSIC ON!