教材づくりを楽しみます。 草くくろーやベトナム呉朝 エジプト初期王朝・古王国   →メンフィス

*『仏印』は『フランス領インドシナ』の略でヴェトナムはその一部でした。植民地はもともと本国人の金儲けの追及から生まれたものです。働かされた土地の住民は雇用関係とはちょっと違いますが、酷使されたことから『現地の住民を酷い(条件で)雇用した』という語呂にしました。『イヤヤナ(1887)』と『ヒドクコヨー(1954)』です。, ベトナム帝国

ベトナム社会主義共和国(1976年〜).

世界の歴史 - 中学受験. ⑰ タブリーズ ↓ ・『テンプレ世界史』で扱っている王朝の首都を覚えていこうというページです。*エジプトについては基本的にそのまま覚えます。エジプト初期王朝・古王国 →メンフィスエジプト中王国 →テーベエジプト新王国 →テ

ムガル帝国

*アケメネス朝ペルシアなので『ペルシアの都市』で『ペルセ・ポリス』。 *王様が君臨することを昔日本では『胡座(あぐら)にます』といいました。『あぐら』は『足で椅子(くら)を作る』ことで、現代のあぐらをかくことそのままです。首都にぴったりの名前です。, 『ちゃっとチェック王朝首都名』大層なもんじゃなくて申し訳ないですが…これでチェックしてみて下さい。, 場所のチェックがしたい場合は下の地図で行ってください。解答はこのページの一番上の地図です。別ウィンドウで開いて見比べるといいと思います。解答を書くつもりで番号を振りましたが、よく考えたらそれが一番早いですね。, A ♪隋・唐・五代(ずい・とう・ごだい) *ヴェトナム王朝は比較的短命なものが多い中、後黎朝はトータルで350年くらい続いています。続けば文句も出る訳で『これ続きすぎて非難わく』としました。『これ』は『後黎』のことです。成立・滅亡年『ヒトヨニハ(1428)』と『ヒナンワク(1789)』です。, 莫朝 1527〜1677 丁朝 966〜980

⑧ テーベ ↓

④ ガズニー *『クバレ(980)』が成立年『トオク(1009)』が滅亡年です。, 李朝 1009〜1225 ↓ *「サファヴィー朝はワサビー朝」と覚えます。 ⑤ カイロ 李朝は遠く、何時着こう

*ペシャワールはクシャーナ朝の首都『プルシャプラ』と同じです。, ① ウズベク・ハン国

ラージプート時代(略) ↓ 奴隷王朝→デリー

仏印嫌やな現地の住民酷く雇用 ⑫ ニネヴェ

アフシャールの真ん中なので、『ま』を付けてマフシャール、場所なので『と(ところ)』をつけて『マフシャド』ではなく(笑)『マシュハド』です!, ⑦ ザンド朝        →シーラーズ 美濃平定                 美濃平定天... 『年語呂年註』日本史目次ページはこちらです。

⑳ スーサ, B ⑬ アッシュール

エジプト中王国            →テーベ

*『陳朝』と『陳情』を引っ掛けただけですね。『人が不都合なことを言い寄って』役所に提出することをまあ『陳情』と言う訳です。これも成立・滅亡年『ヒトフツゴー(1225)』と『イーヨレマー(1400)』です。, 胡朝 1400〜1407 *『こっち側に明がやってきてとうとう滅亡した』という歴史事実をふまえています。『コッチ』は『後陳』のことです。『滅亡』と言うように一度滅亡した年で『イヨイヨ(1414)』となります。後に一時再興しますが一年間だけで『後黎朝』の成立年を覚えていれば足ります。, 後黎朝 1428〜1527 1532〜1789 ↓ katenanoking, 今回は、イスラーム世界の総整理がてら、イスラーム世界の王朝語呂合わせを紹介していきます!, イスラーム世界を制覇するだけで、得点率もグングン上昇しますよ!それではいきましょう!, イスラーム諸王朝の変遷はこんな風になっています。ここまででは、こう→横の線で解説してきました。10世紀は〜とか、そういう話です。, でも、王朝いっぱい出てきすぎてこんがらがっちゃうと思うんです。そんなわけで今回は↓縦の線で解説and語呂合わせをしていきます。, まずはイベリアと北アフリカ。イベリア半島というのは、スペインとか、ポルトガルの辺りですよね。, ウマイヤ朝の生き残りが逃げてきて建てたのが後ウマイヤ朝でした。ちょっとあやふやな人は復習を。3分で読めます。, ちょうどこの頃イベリア半島では、キリスト教徒の土地を取り戻そう!というレコンキスタが行われたのでした。, イベリア半島にて、最後の王朝はナスル朝。グラナダが陥落し、レコンキスタが完成しますね。, もちろん、ストーリーの理解は必須ですが、語呂合わせは暗記を手助けしてくれます。10回唱えて次へ!, 次はエジプトです。ウマイヤ朝を倒したアッバース朝が広大な帝国を築き、それはエジプトにも及んでいました。, しかし、急進的なシーア派が10世紀に、カリフを称して国を建てちゃうんですよね。それが、ファーティマ朝。, ちょうどこの頃、ブワイフ朝がやってきてアッバース朝の力が弱まっていき始める時期でもありました。, ファーティマ朝を倒したサラディンは、アイユーブ朝を建てます。この頃は十字軍と同時期というお話もしましたね。, トルコ人奴隷の軍隊、マムルーク軍団を引き連れた女性がアイユーブ朝を倒し、マムルーク朝を建てます。同じ頃に、同じようなトルコ人奴隷の王朝もできたんだよ、というお話をしましたね。, ファーティマ朝からずっと都はカイロですので、それも一緒に覚えられます。10回唱えましょう!, イスラーム世界の中心地ともいえるイラン、イラク。現在、アメリカとすごい揉めていますが、世界史を学ぶと構図が見えます。まあ、そのお話は近現代史で。, さて、ブワイフ朝が攻めてきて、アッバース朝のカリフが形だけに成り下がってしまったというお話をしました。, そしてこの状況はアッバース朝が滅びるまで続くんでしたよね。ブワイフ朝の次はセルジューク朝で、スルタン(支配者)の称号を手に入れたのでした。, その後モンゴル軍によってアッバース朝が滅びると、その空き地に、フラグという人物がイルハン国を建てます。, ティムールとサファヴィーに関してはまた追々やっていきます。ホラズムは本当に少ししか出てこないので、そんな王朝あったんだくらいに思っておいて下さい。, 中央アジアというとすごいぼんやりしていますが、イランイラクと中国の間くらい!という捉え方でオッケーです。, まずは、アッバース朝から独立したサーマーン朝。アッバース朝から独立したのはイラン人なのですが、この土地にいた人々はトルコ人でした。, イスラーム王朝のお陰で、トルコ人はイスラームに改宗します。その後カラハン朝がサーマーン朝を倒し、この地域を統合して、広く支配するようになります。, ここで改宗したトルコ人の一部は西へ進み、セルジューク朝の建設へと発展していくのです。, さっきちらっと出てきたホラズム朝もトルコ系で、カラハン朝の後に支配しました。しかし、チンギスハンの使節がきた時に、彼らを惨殺してしまったので、10倍返しにされました。, その東側では西遼(カラキタイ)が出てくるのですが、騎馬遊牧民の解説は他でガッツリやりたいので、ここではスルーしておきます。, はい、13世紀に入りまして、モンゴルが広大な領地を誇るようになると、この地域では、チャガタイハン国ができます。, そしてガズナ朝から独立した、イラン系の王朝がゴール朝はインドに侵攻するようになります。, また、ゴール朝の将軍アイバクが、デリーの支配よろしく!と言われて、そのまま王朝にしちゃったのが、奴隷王朝でした。アイバクは奴隷出身でした。, こう見ると、イスラーム王朝って大きな国から独立、派生してまた独立みたいなパターンが多いですね。, 奴隷王朝を含めた、その後のインドのイスラーム王朝はまとめてデリースルタンと呼ばれます。, 覚えにくいイスラームもいまだけ無料配布している暗記テクニックで完璧にしてしまいましょう!面白い語呂合わせ集がついてくるので、語呂合わせ好きな人は用チェックです。, 暗記が超絶嫌いだった受験生が楽々暗記できるようになり私大すべてに合格した秘密の暗記術.

⑥ プルシャプラ(ペシャワール)

*『テメェー』→『貴様』で『サマルカンド』と引き出します。乱暴ですが。テメェール朝と10回くらい言いましょう。, ⑤ サファヴィー朝     →タブリーズ/イスファハーン 『ワサビをつけて食ぶりーず』

↓ *『年語呂年註』とは『年号語呂合わせ年毎註釈』の略称です。ここでは『テンプレ世界史』用に... 『テンプレ世界史ー北アジアの国の変遷(後半)』のおまけページです。このページでは各王朝の成立した年と滅亡した年をゴロ合わせで覚えていきます。... 音声教材はこちらです。

*マウリヤ朝と同じです。そう覚えましょう。楽でいいですね。 作者についてくわしくはこちらで. *語呂フレーズの確認と、スペイン王名を覚えたい場合のページです。事跡の内容の説明はこちらを参照してください→『スペイン国王①(付大航海時代)... *『年語呂年註ー日本史』の「平家滅亡から鎌倉時代編」です。YouTube音声はこちらです。

教科書レベルでいきます。山川出版の世界史の教科書から、本文に言及されているロシア皇帝(国王)と主な事件・事績を抜き出してみました。

エジプト末期王国                   →複数(略), ① 古バビロニア (バビロン第1王朝)      →バビロン イスラーム世界の大まかな流れを解説していくので、必要に応じてノートにまとめていってください。 当たり前ですが、イスラーム世界はイスラム教という考え方が生まれて始めて誕生します。 つまりスタートは7世紀初め。 ここから現代にかけて様々なイスラーム国家が興亡を繰り返していきます。 まず、簡単に時代で分けてみましょう。 7世紀:イスラム教の誕生(ムハンマド朝)・正統カリフ時代 ↓ 8世紀前半:ウマイヤ朝(誕生は661年) ↓ 8世紀後半〜13世紀中盤:アッバース朝・他多数王朝 ↓ 13 … 2020.07.19

うちの部屋は、モノをおける制限量(限度)こしちょうけ、あんたンとこ置きぃや、という意味です。, ⑫ パルティア                                →クテシフォン

*『サルです』はインパクトが強いので覚えやすいですね。リディアから引き出しにくいという人は、「サルのオリでぃあ」とでも覚えてイメージ付けしましょう。, ⑧ カルデア (新バビロニア)              →バビロン

下記リンクから「特別な勉強法バイブル」を入手! こんにちは!プロオンライン家庭教師のめじろです♪.

→『じ... フレーズ(語呂合わせ)の説明 さっきのパーティの続きですね。, ⑮ ターヒル朝          →ニーシャプール ⑦ カシュガル *後の『後黎朝』に対して『前黎朝』と言います。ここに引っ掛けて「前例(朝)」で前例ばっかりにこだわらず、遠い先のことにまで「心を配れ」という語呂になります。

→カンダハール、カーブル、ペシャワール *これは、デリー・スルタン朝の初めと知っていれば大丈夫でしょう。

仏印嫌やな現地の住民酷く雇用, ベトナム帝国

*『さーさー食うてシフォン(ケーキ)』 カザフ・ハン国→テュルキスタン, マウリヤ朝→パータリプトラ

⑮ クテシフォン

仏印1887〜1954 *デリーは前の続きですね。

*... *これは『年語呂年註―ゲルマン人の大移動年語呂』の①です。②もあります。このページでは『ゲルマン人の大移動』の概略をゴロ合わせで覚えていきま... *古代ギリシャの知識の大枠を『ことば』を武器にして一気に作ってしまおうというページです。元ページの『テンプレ世界史』目次はこちらです。『年語... *イオン化列とそれらの金属の反応性について覚えるページです。まずは初めにこのページで覚えることを載せておきます。復習の際に使いやすいと思いま... 『テンプレ世界史ー北アジアの国の変遷(後半)』のおまけページです。このページでは各王朝の成立した年と滅亡した年をゴロ合わせで覚えていきます。... 名前: ノリ巻ノリ男 ⑩ アグラ *『莫』は漢文で『なシ』と訓じる字ですね。名前は有るんですが『無(なシ)』な名前な訳です。ってことで『以前にも以降にもない無な名前』としました。確かにヴェトナムにはこの王朝のほかに『莫』はありません。成立・滅亡年が『イコーニ(モ)ナ(1527)』と『イムナナ(1677)』です。, 広南国 阮主 1558〜1777 ③ ダマスクス 『ファブリーズ』も参考にしましょう。, ③ チャガタイ・ハン国    →アルマリク *ヒッタイトは英語で『ハッティ』ここから『ハットゥシャ』を引き出します。 ♪三国・晋・南北朝(さんごく・しん・なんぼくちょう) →×中心都市 ヤルカンド、カシュガル *ヴィシー・フランスと日本による二重支配のもと、阮朝が王政復古する形で、形式的な独立を果たしました。出来たと思ったら日本が負けてすぐになくなってしまったのでこの語呂です。『サーイイ(3.11)』と『クニ(9.2)』です。終戦の年は中学生版に作っています。, 南北分断時代 *『カーブル』は現代のアフガニスタンの首都です。

前黎朝心を配れ遠くまで

普段聞き慣れない名前が多いだけでなく、様々な王朝が時期を重ねて現れたり消えたりするので、厄介に感じている人も多いでしょう。, 苦手とする人が多く、なおかつ頻出のイスラム世界をマスターできれば、他の受験生と差をつけることができます。, 「イスラーム世界の流れと形成と発展」、「イスラーム世界の王朝の覚え方」、「入試や定期テストの対策法」の3つをわかりやすく解説していきます!, >>1ヶ月で早稲田慶應・難関国公立の英語長文がスラスラ読めるようになる方法はこちら, 13世紀中盤〜15世紀:ナスル朝・マムルーク朝・オスマン帝国・モンゴル系王朝・ティムール朝・デリー=スルタン朝, 16世紀〜18世紀:オスマン帝国・イラン地域王朝(サファヴィー朝・カージャール朝など)三ハン国・ムガル帝国, かなり大雑把ですが、上記のような時代のまとまりを、ノートに書き込んで覚えるのがセオリーです。, 定期テストや入試問題でも出題されるので、時代ごとに分けてしっかりと覚えておきましょう。, 622年(イスラーム元年):ムハンマド、迫害を逃れてメッカからメディナへ移住【ヒジュラ(聖遷)】, 622年はヒジュラだけでなく、イスラーム元年であるということも頭に入れておきましょう。, カーバ神殿はもともとメッカにあった神殿で、昔からその地域の様々な神様を祀っていましたが、630年にムハンマドがアッラーのみを祀る神殿とします。, ムハンマドの死後、その後継者=カリフである、「アブー=バクル」「ウマル」「ウスマーン」「アリー」の4人の時代が正統カリフ時代。, ニハーヴァンドの戦いは、第2代カリフのウマルが異教徒に対する聖戦(ジハード)の1つです。, ウマイヤ朝は第4代カリフである「アリー」を暗殺した、「ムアーウィヤ」が創始しました。, 711年:第6代カリフ、ワリード1世がイベリア半島の西ゴート王国を滅ぼす(最盛期), 732年:トゥール・ポワティエ間の戦い(ウマイヤ軍がフランク王国のカール=マルテルに破れる), 750年:アッバース家のアブー=アルアッバースがシーア派の協力を得て、ウマイヤ朝を倒す。アッバース朝成立, 支配者層はムスリムの中でもアラブ人に限られており、非アラブのイスラム教徒はマワーリーと呼ばれて差別を受け、ジズヤと呼ばれる人頭税の支払いを要求されました。, ウマイヤ朝の政治形態アッバース朝の政治形態と比較されますので、整理して覚えておきましょう。, 圧政に耐えかねて、アッバース家のアブー=アルアッバースがシーア派と協力してウマイヤ朝を倒し、アッバース朝を創始しました。, 1071年:マンジケルトの戦い(セルジューク朝がビザンツ帝国を破り、小アジアを獲得), そのためウマイヤ朝が「アラブ帝国」と呼ばれるのに対して、アッバース朝は「イスラーム帝国(イスラム帝国)」と呼ばれます。, アラブ人以外でもジズヤは免除され、ペルシア人なども政府の要職に就くことができるようになりました。, アッバース朝はとても大きな帝国でしたが、各地で勢力が生まれ、次第にアッバース朝のカリフの力は形式的なものとなっていきます。, アッバース朝を逃れたウマイヤ朝のアブド=アッラフマーン1世が、756年にイベリア半島に建てた王朝。, ここから1492年のレコンキスタ完了まで、イスラームがイベリア半島を支配することになります。, 彼はカリフを名乗ったため、「後ウマイヤ朝」「アッバース朝」「ファーティマ朝」の3人のカリフが同時に立つことになります。, ファーティマ朝(909年〜1171年)→969年にエジプトにカイロを建設。アグラブ朝を倒してマグリブ地方からエジプト一帯に進出するが、981年にマグリブ地方から離れる。, エジプト地域の王朝はファーティマ朝、アイユーブ朝、マムルーク朝の3つの王朝が暗記の中心。, カイロは、ファーティマ朝、アイユーブ朝、マムルーク朝の都であり、現在のエジプトの首都でもあります。, クルド人の将軍サラディン(サラーフ=アッディーン)が、ファーティマ朝を倒してアイユーブ朝を建国。, サラディンは1187年のヒッティーンの戦いで十字軍を撃退し、イェルサレム王国を滅ぼしました。, マムルーク朝では軍司令官バイバルスが、1260年のアイン・ジャールートの戦いでイル=ハン国軍を破り、第5代スルタンになります。, 地中海とインド洋を結ぶ香辛料貿易で栄えますが、1509年のディウ沖海戦でポルトガルに敗れ紅海とアラビア海の覇権を失い、1517年にオスマン帝国のセリム1世に滅ぼされました。, ホラズム=シャー朝は、セルジューク朝から自立したトルコ系奴隷によって中央アジアに建国されましたが、セルジューク朝の分裂後にイランに進出しています。, ブワイフ朝はイラン系の民族で形成されており、シーア派の中の十二イマーム派を国教としました。, 同じシーア派でも、イスマイール派を国教としていたファーティマ朝とは対立していました。, 946年頃にバグダードに入城し、アッバース朝のカリフから大アミールの称号を授かります。, また兵士に俸給(アター)を与える代わりに、土地の徴税権(イクター)を与えるイクター制を創始しました。, セルジューク朝の建国者で初代スルタンであるトゥグリル=ベクは、1055年ブワイフ朝を倒してバグダードに入城し、アッバース朝のカリフからスルタンの称号を得ました。, スルタンとは政治的指導者のようなもので、例えるなら天皇(=カリフ)が将軍(=スルタン)の地位を与える、といった感じになります。, 1071年にはマンジケルトの戦いで、ビザンツ帝国を破りシリアと小アジアを奪います。, ただその後1157年に分裂し、小アジアにあった地方政権がルーム=セルジューク朝として残ります。, 宰相のニザーム=アルムルクはイクター制を整備し、また各地にニザーミーヤ学院を設立しました。, モンゴル帝国第4代ハン、モンケ=ハンに西アジア遠征を命じられたフラグは1258年にバグダードを攻略し、アッバース朝を滅ぼしました。, 西アジア東部を支配下に入れた後、1260年フラグはシリアに侵入、アレッポとダマスカスを征服します。, 同年、モンケ=ハン死去の報告が入り帰還しようとしますが、帝位継承戦争が始まった為に西アジアに留まることを決意し、イランにイル=ハン国を建国します。, ガザン=ハンは『蒙古集史』を著した歴史家のラシード=ウッディーンを宰相に任命し、土地制度や税制の改革を行わせました。, しかし1353年に分裂したイル=ハン国は、最終的にティムール帝国によって滅ぼされます。, ブワイフ朝(946年)→セルジューク朝(1055年)→イル=ハン国(1258年)の順にで、「釧路(946)にGO!GO!(1055)いつ壊す?(1258)」という形で語呂合わせで覚えるのがおすすめです。, イラン系初のイスラーム王朝であるサーマーン朝が、中央アジアからアフガニスタンにかけて建国されます。, サーマーン朝の後、中央アジアにカラハン朝、アフガニスタンにガズナ朝がそれぞれ建国されました。, 中央アジアのカラハン朝の後には、ホラズム=シャー朝と西遼がそれぞれ建国され、ガズナ朝の後にはアフガニスタンからインド北西にかけてゴール朝が建国されます。, しかしモンゴル帝国のチャガタイ=ハンによって、中央アジアとアフガニスタンの地域が征服され、チャガタイ=ハン国が建国されるのです。, インド北部では、ガズナ朝からイスラームの考え方がインドに流入し、デリー=スルタン朝が生まれます。, ガズナ朝→ゴール朝の流れと、イスラーム文化がインド方面に近づいているという点がポイントとなります。, 重要なのは後ウマイヤ朝の都がコルトバであったのに対し、ナスル朝の都はグラナダであるという点。, しかしキリスト教徒による国土回復運動(レコンキスタ)が進み、1492年にナスル朝(1232年〜1492年)は滅亡しました。, イベリア半島最後のイスラーム王朝はナスル朝で、ナスル朝はスペイン帝国に征服されます。, ティムールはキプチャク=ハン国や北インドのデリーに侵入しましたが、中でも1402年のアンカラの戦いでオスマン帝国を破ったのが有名。, オスマン帝国のスルタンであったバヤジット1世を捕虜にし、オスマン帝国を一時滅亡に追い込みました。, インドではパーニーパットの戦い(1526年)でデリー=スルタン朝が滅亡し、ムガル帝国が建国されます。, オスマン帝国とサファヴィー朝、三ハン国の3つの王朝を、それぞれ掘り下げていきましょう。, とても大きな勢力を誇った国で、イスラーム世界に限らず、ヨーロッパの国々にも大きな影響を与えました。, 1453年 ビザンツ帝国を滅ぼして、コンスタンティノープルを占領し都にして、イスタンブルと名前を変更する。, ちなみに私は「プレヴェザの海戦、降参したのは(1538)スペイン」「レパントの海戦、もう来ない(1571)オスマン」と覚えていました。, これにより、バルカン半島のキリスト教徒の子供たちを強制的に徴用し、イェニチェリと呼ばれる常備歩兵軍団に配属させたのです。, しかし帝国内では宗教別共同体のミレットにそれぞれ信仰の自由と自治を許すなど、異教徒に寛容な部分も見られました。, 1501年に、シーア派のトルコ系の遊牧集団であるキジルバシュの支援の元、イスマイール1世が建国しました。, イスマイール1世は神秘主義教団の教主で、シーア派の十二イマーム派を国教としました。, 都はタブリーズ→カズウィーン→イスファハーンへと遷っていきましたが、中でもイスファハーンは「世界の半分」と呼ばれるほどの繁栄を見せました。, しかし1736年にアフガン人の侵入によって滅亡し、後にアフシャール朝が開かれることになります。, ブハラ=ハン国、ヒヴァ=ハン国は1500年頃、コーカンド=ハン国は18世紀初めに中央アジアに建国されましたが、いずれも19世紀にロシアの保護国、あるいは併合されました。, 特に複雑な8世紀後半〜13世紀中盤にかけては地図を活用し、地理で分けてみると良いでしょう。, 当サイトの運営責任者、および記事の執筆者。 最終学歴は早稲田大学卒業。 大学受験の予備校講師として3年間の勤務、その経験を活かして東京都内に自ら予備校を立ち上げる。 現在はオンラインで「大学受験の英語長文の読み方」を指導し、5年以上の間運営をし続けており、生徒数は累計1500人を超える。 TOEIC900点以上のスコアを保有。 長い指導歴を活かした「事実に基づいた、専門性の高い分かりやすい内容」を、責任を持ってお伝えしていきます! 「独自の英語長文読解法」は無料で公開しています。. *旧宗主国のフランス、共産主義のアジア拡大を恐れる自由主義陣営の代表アメリカが順番に軍を派遣して北ベトナムを制圧しようとしますが結果的に失敗し、北ベトナムがベトナムを統一し『ベトナム社会主義共和国』となりました。『イクヨコ(1945)』『イクナンム(1976)』です。 ここから『ワシは見た』と覚えておくと、引き出しやすいです。, ④ カッシート (バビロン第3王朝)        →バビロン ↓